古代中国の政治家、晏嬰(あんえい)に
こんな話がある。

晏嬰が市場に近い家に住んでいたので
王様はさぞ騒々しいだろうと考え、
別の屋敷を与えようとした。

すると晏嬰、
「市場に近いと利点があります。
たとえば今は履き物よりも義足が高い、
そんなことがわかります」。

当時は足を切ってしまう刑罰があった。

普通の履き物よりも、
その刑罰を受けた人々が使う
義足が売れて高騰している、

それは現場の役人たちが厳罰に傾き、
民衆を圧迫している証拠。

そう説かれた王様は、すぐおふれを出して
厳罰主義を改めさせた、という。






世の中のことを広く酌み取れるのが
すぐれた政治家の基本だと思う。

それには晏嬰のように、
庶民の現状に通じることも大切なこと。

しかし、だからといって
「台所感覚」なんて掲げる政治家は
どこかおかしいと思っている。



実際に台所を預かる主婦として思うが、

主婦は自分の家の家計が上手くいけばOK。
近くに安いスーパーが出来れば
馳せ参じて出費を節約するのは当たり前。

それによって古くからある商店が潰れても、
あら、そうなの? 気の毒だけど、
高いし品揃えもないから仕方ないよねぇ…
で終わり。


けれども「政治」はそうではない。

古商店の主もスーパーの経営陣や従業員も
各家庭の主婦も(これら同じく「国民」)
誰も大損をしないように持っていって、

さらに、その「皆の住むところ」を
さびれさせることなく
発展させなければならないもの。

 

古商店に寄りすぎて

新しい活力の進出を阻むことなく、

スーパーに寄りすぎて

地域社会を壊すこともなく、

主婦たちの財布を痛めつけることなく…

って、

我が台所がOKなら良しニコニコ なんて
狭くてバランスの悪い感覚では無理でしょ。






いつだったか、英国で不況の兆しが見え、
庶民が買物に殺到したという
ニュースがあった。

生活防衛のため、安いうちに買い込む。
てっきりそういうことかと思ったら、
彼・彼女らが買い込んだのは自国製品

自国の産業と雇用を守るためだそうで、
浅ましい主婦は恥じ入った記憶がある。



百均やユニク●で
外国製の安物ばかり買っておきながら
国内の不況や雇用減を嘆くのは、

「台所感覚」過ぎる状態なんだなぁ、

と思ったことだった。

 

 

 

 

くま ストーブから離れられませーん いて座