フェルス人は笑いを引っ込め、ハールに向かって会釈した。あらためて見ると若く、ハールともそれほど変わらないように見える。礼を返し、話しかけようとしたハールはふと詰まった。相手の名すら聞いていない。
妙な間が空いたあと、フェルス人はどっと笑い出した。
「なるほど、お困りでしょう。あの御仁、お引き合わせはお館で、などと言っといて、とうとう名前もお知らせせずに行っちまいましたからな」
ハールは新鮮なものを見る気分で彼を見つめた。
思えば、コルでは彼は常に領主の嫡男であり、ざっくばらんに近寄る者はいない。ハーコン一統のような悪意的な不作法でもなく、単にかしこまらない態度というのは初めてかもしれなかった。
「失礼しました」
ハールが黙ったままなので、さすがにまずいと思ったのか、フェルス人が頭を垂れた。
「俺たちは、兄貴が言ったとおりただの護衛兵で、庶民なので、王族に対する礼儀を知らんのです」
「あ、いや、かまわない」
あわてて手を振ってから、ハールはあらためてフェルス人の言葉に目を丸くした。
「兄貴? あの無口な使者と君は兄弟なのか」
「そうです。あれはアルドーといって、俺の同腹の兄です。俺はケルドー、兄貴ともども、フェルスリグの守備兵のひとりです」
同腹の、をやや強調してケルドーはにやりと笑った。言われ慣れているのだろう。ハールもつり込まれて笑い、
「似てないな。君は兄のぶんまでしゃべるのか」
めずらしく軽口を叩いた。するとケルドーはすました顔をして、
「はい。王子さまが弟君のぶんまでしかめ面をなさっているのと同じですよ」
と答えた。ハールはふたたびケルドーをまじまじと見た。面白い人間だと思った。
「君はきっと、レギン王が相手でも同じように話すのだろうな」
「はは、王さまには道化者と言われております」
ハールは軽く首をかしげた。さきほどケルドーは「フェルスリグの守備兵」と言った。首都の城壁を守っているのだろう名もない兵が、王と親しげに話しているはずはない。


 

 

「君の持ち場はどこなのだ」
遠回しにハールが問うと、ケルドーは打てば響くように、
「王さまは気に入った兵を夢でお呼びになります。俺も兄貴も、王さまに呼ばれた “夢の護り手” です」
ずばりと答えた。面白いばかりでなく、頭の切れる男らしかった。
「俺なんぞにはよくわかりませんが、王さまには秘密が多い。いや、フェルス自体が古くて秘密だらけの国です。近衛兵や親衛隊を使いたくないって時に、こっそり王さまにこき使われるのが俺たちですよ」
ケルドーはおどけて嘆いてみせた。ハールはまた笑った。ヴィトとはまた違う相性の良さを感じる。
「ああ、だからって俺たちが居眠り常習犯ってわけじゃないですよ」
くるくるとよく動く目を丸くしてさらにハールを笑わせたあと、少し表情をひきしめ、
「さっき、ここの王さまは居眠りだなんて冗談をおっしゃいましたが、うちの王さまが捕まえるのは一瞬の隙なんです。ふっとわけがわからなくなって、もう王さまと対面してる」
とケルドーは説明したが、体験したことのない者にはわかりにくい話だった。ハールは頭の中のさまざまな記憶を引き出して、
「デウィンの一部には、動物と心で話す者がいたという。それは相手と対面し、まなざしから心をすべり込ませる技だと聞くが、それに似たものかな」
訊ねてみたが、今度はケルドーが首をかしげた。
「俺にはそっちがわかりません。ま、そのうち王子さまの夢にも王さまがお出ましになるでしょうから、そうすりゃわかりますよ」
「そうかな」

 

 

 


ドゥニアの束ねとして、コル島を含めた国主たちのもとを訪れるレギン王であってみれば、いずれハールがコルの領主になれば夢でまみえることもあるだろう。しかし、ハールが領主の座を継ぐ日はまだまだ先の話である。レギン王がそれまで存命とも限らない。ところが、
「そんなに先の話ではないと思います。俺たちが遣わされたのが証拠ですよ」
またもハールの心裡を読んだようにケルドーが言った。
確信ありげな口調に、ハールが不思議そうに目を上げると、
「自分で言うのも何ですが、王子さまをお迎えにあがるのに、ただの守備兵なんぞ来るわけありませんよ。俺たち、コルの王族に決して無礼がないようにとくり返し念を押されたくらいですから」
ケルドーは何度も頷いた。
そして突然、
「レギン王は、ハール王子を死んでもお守りしろと命じられました」
別の声が言い、ハールは思わず身構えるほど驚いた。井戸の巻揚げ機の陰になって姿が見えなかったアルドーが進み出て、
「失礼しました」
ケルドーの明るい声とは似ても似つかぬ声で詫びた。
 

 

 

 

くま 明日に続きます さそり座

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