「これは、若君」
ハールの姿に気づくと、シュラルは軽く頭を下げた。学びの場では師としてハールに礼をさせるシュラルだが、それ以外の時には臣下の礼を忘れない。ハールも丁寧な辞儀を返した。
先にハールがタウルのもとを訪ねていたことを聞いていたらしく、シュラルは薬袋を壁に掛けながら、
「タウルのところへ参りました。新しい薬が体内の毒素を出してくれたものらしい。もう大丈夫でしょう」
簡潔に報告した。
「よかった。快方に向かっているのですね」
大きく頷くハールにほほえみかけたあと、シュラルは息子へ向かって
「若君にお話をしていたのか。何をお話申し上げた」
と問い、アガトのデウィン説と聞くなり、
「アガトの説に対し、オルバンは何と反応したか答えよ」
質問をくり出した。ヴィトは少し悪戯っぽく笑いを含み、
「フェルスの歴史を扱った書物『王家の歴史』の中の大学に関する部分で、このような忘恩の徒は少なくともフェルスにいる権利はなかろう、とあてこすっています」
さらりと答えた。シュラルが誇らかな顔になり、ハールも親友の博識ぶりと常に落ち着いた態度をうれしく思った。


「ところで、若君」
シュラルの呼びかけに、自分も試されるのかとハールは思った。しかし続く言葉を聞く前に騒々しい音を立てて玄関の扉が開き、全員の注意を引いた。

 

 

 


そこに立っていたのはヴィトの弟イアリだった。何があったのか、髪は乱れ、衣服は土や草まみれになってあちこちが裂け、血がにじんでいるところもある。
「何ごとだ、イアリ」
シュラルが不機嫌な声を浴びせかけた。むっとうつむいたままのイアリは返事をせず、ハールのほうへ歩いてきた。

イアリはハールの前で頭を下げ、もそもそと何かつぶやいた。
「何と言った、イアリ」
ハールが聞き返すと、イアリは少し顔を上げた。右目と頬が腫れて唇にも血がついている。その口から、
「ギンナルの息子を叩きのめしました」
腹を立てているかのような声が、驚くべき言葉を吐き出した。
「何だと?」
思わずハールは大声を出した。
イアリはまだ13歳になったばかりである。さきほど話をしたギンナルの息子は18歳ほどに見えた。ハールはもちろん、背の高いヴィトもまだ彼の背丈には届かないくらいだった。確かにイアリはがっしりした骨格で頑丈そうに見える。しかし、大人同様の相手を「叩きのめす」には役不足としか思えなかった。


「あいつは若さまを怒らせ、ぼくの兄上を馬鹿にしました。だから、思い知らせてやりました」
イアリの言葉は父にも兄にも似ず、必要なことをつなげただけの無骨さだったが、それゆえに嘘ではないことがはっきりと伝わってきた。ハールは半ばあきれて、
「どうやって思い知らせたのだ」
と訊ねてみた。イアリの表情が初めて少しゆるんだ。
「木剣で足をなぎ払って、倒れたところをめった打ちにしてやりました」
「若君」
シュラルの重い声が話をさえぎった。
「お叱りいただかねばなりません。ハーコンはご領主の御一門、しかも殿とギンナルのあいだに問題がある時に、このような愚かな真似をするとは」
「あいつは、若君と兄上に無礼な口をきいたのです」
イアリが吠えた。足をふんばって父親を見上げるイアリは、一歩も引かないかまえに見えた。そして怒りに顔色を変えて息子を見下ろすシュラルも、揺らぐことのない巌のようだった。

 

 

 

 

※次週の土曜はルーの月忌にあたるので、

次回は21日・日曜のみとなりますm(_ _)m

 

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