<グーダ>の家は不思議なもので満ちている。
筒をいくつも連ねた遠眼鏡、多くの輪が複雑に関係して太陽や月や星々の動きを示す模型、水色の液体が波打ち続ける海を備えた地図、闇にやわらかな光を放つ石。
ハールはいつものようにさまざまなものに興味を示し、ヴィトはそんなハールをやさしい目で見つめた。ハールが大人びたこどもなら、ヴィトは初めから大人だった。
「父は出かけたようですね。薬袋がありませんから、入れ違いになったのかもしれません」
ヴィトに声をかけられ、ドゥニアの古地図から目を上げたハールは、
「さきほどは怒りに駆られ、自分で王子を名乗ったが…、なぜ、アルドリドは “王” なのだろうか」
と問うた。
「ドゥニアにはいくつもの国がある。その頭(かしら)といえるフェルスの長が “王” なのはわかるが、たとえばアデリスを併呑したイェルズも、正式な身分は “大公” に過ぎない。それなのになぜ、農民ばかりの小さな島の長が “王” とされるのか」
「126年前のイェルズとの戦ののち、時のフェルス王が夢見で定められたこととしか存じませんが…」
ヴィトは静かに、しかし強さのこもった口調で続けた。
「食べることは命の基本です。農事はそれを支えるもの。コルは小さな島ですが、ドゥニアの多くの命を支えています。誇りをお持ちください」
ハールは姿勢を正し、深く頷いた。それから苦い笑いを口の端にのぼらせて、
「ところで、ハーコンに裏はないのか」
とふたたび問うた。怪訝な顔になったヴィトに向かい、
「ヴェストルは情に引かれてハーコンを割譲したという。それは真実なのか。何か危険なものでもあって、見張りのために弟を遣わした、もしくは厄介者の弟に押しつけた、などという事情はないのだろうか」
ハールは思うところを説明した。ヴィトはほのかに笑った。
「なるほど。まるでデウィンに関するアガトの説のようですね」
ヴィトは長いまつげの影を頬に落として軽く目を閉じると、100年ほど前に生きた学者が書き残した文書を暗誦し始めた。
―カレヴィをはじめ、アルフ、昨今ではオルバンやフラムといった学者たちは、デウィンを天宮の「無垢なる者」と混同しているとしか思えない。彼らは<デウィンは情け深く、醜い闘争心がない>などという。
それならばなぜ、彼らはイメア輝石に我を失ったのか。魔力と呼ぶのか呪力か、または神力、不思議の御業なのかは知らぬが、本当に闘争心のない者ならばその増幅を求めて石を争うとは思えない。まして、末期には己が魔力を保つため、他人の魔力を石に奪い吸わせたともいうではないか。そしてアルバリクのロヴァルに対する態度には、明らかな優越感がうかがえる。
実は古紀の争いにおける彼らの中には、より魔力に勝るジアルデルへの嫉視すらあったかもしれない。そこまで言わずとも、ジアルデルとの対立は彼らの事情であり、人間のことはいくつかあった「対立を象徴するもの」に過ぎないだろう。
デウィンが聖なる存在ではないことは、ミーラントの龍戦争において「塔の賢者」ジルニトルがどのような態度に終始したかを思い出すだけで充分ではあるまいか。―
ヴィトは目を開いて言葉を継いだ。
「もちろん往古のデウィンの真情は不明です。しかし、イメア輝石をめぐる『呪術者』と『賢者』の対立の時、アルフリクの子アルバリクは、伝説の王ロヴァルの参戦を喜ばなかったといわれます。人間に特別の感情があったとは思えない、とアガトは考えたようです」
「足手まといになると考えるのは、無理もないように思うが」
ハールは素直な感想を口にした。
「しかし『呪術師』の長を倒したのはロヴァルでした。デウィンは賢者ではありますが、天宮の者ならぬ身、すべてを見通すことなどできないということです。これがこの説の持つ含みです」
「人間同様、この地上に生きる者に過ぎないということだな」
ヴィトはほほえみ、
「ええ。それでもデウィンは人間よりはるかにすぐれた存在です。その彼らですら見誤るということが、わたしたちの教訓にならないでしょうか」
「なるほど。人間のすることにさほどの意味はないかも知れず、それを見抜くことはさらにむずかしいということか」
ハールが笑顔を見せたとき、扉が開いてシュラルが帰ってきた。
明日に続きます
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