嵐の前の静けさというのか、
正午過ぎ現在、
曇天ながら雨も降っておらず、
微風すらない我が家地域ですが、
西日本ではすでに怪我をされた方も
出ているようす。
皆さま、くれぐれもお気をつけて。
大きな被害が出ないことを祈ります。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
執務室の大きな椅子に腰をおろしたアドールへ、留守中に領民から預かった書類を渡しながら、
「ハーコンといえば…」
ハールはふと思い出したことを口にした。
「さきほど使いに来たハンジールが言うには、北部では大規模な開墾を進めているそうです」
「ハンジールというと、バインデルの息子か。あの家はハーコンにもっとも近いな」
「こどもの言うことなので、はっきりはしませんが」
ハールの口から続いた言葉に、アドールの目の奥でかすかな笑いがさざめいた。ハールと北寄りの農場の息子ハンジールは3歳ほどの違いしかない。
だが、ハールの誇りを傷つけないよう、笑いはすぐに消えた。領主の嫡男がくり返してきた道に沿って、年端のいかない息子がいかに無理を重ねているか、アドールは痛いほど理解している。ハールは父の胸中には気づかず、
「どうも北へと切り拓いているようなのです」
もっとも懸念すべき言葉を口にした。アドールの眉間に深いしわが現れた。
「バインデルが見たのか」
「いいえ」
ハールはどっしりした机に寄りかかり、大人のように眉をひそめて、
「ギンナルの代になってから、ハーコンとアルドリドのあいだに見張りがひそむようになったそうですが、それが近頃では堂々と道に現れ、領民の行き来すらとがめるようになったとか」
ハンジールの話を整理して伝えた。不機嫌な顔つきでアドールはしばし考えたが、
「ハーコンといえど、状況がはっきりせぬうちに叱責するわけにはいかない。目に余るようならば、ギンナルをここへ呼んで申し開きをさせよう」
と結論をつけ、ちょうど部屋へ飲み物を運んできたフリッドからビールを受け取りながら、
「まったく、ヴェストルもよけいなことをしたものだ。出来の悪い弟をあわれむのはいいが、北部に土地を割いてやるとは」
めずらしく愚痴をこぼした。
「殿さま、ご先祖の悪口をおっしゃるものじゃありません」
フリッドがぴしゃりと言った。フロージュン亡き後、この家の家事も一手に引き受けているフリッドは、夫アソル同様あくまで臣下としての態度は崩さないが、家を束ねる婦人の貫禄がついている。おとなしく彼女が扉を閉めて去るのを待ってから、
「アルドリドの当主なら、一度ならず思うことだ。ヴェストルがスコルを北方で野放しにしなければ、とな」
ビールの杯を傾けながらアドールは話を続けた。
100年余り前のイェルズとの戦の時、当主の弟スコルは戦場で致命的な失態を演じた。
戦後、兄に責められると思い込んで逆上したスコルは、いっそ兄ヴェストルを殺そうと考え、戦勝の宴の席に乗り込んだが、あとさきを考えない襲撃はむろん失敗し、母の助けでなんとか北の荒れ地へ逃れたのみに終わった。
愚かに過ぎる弟への憐れみと、母の嘆きに抗いかねて、ヴェストルはそのまま北方の土地を弟に割譲してやった。以来、直系の家名アルドリドに対し、スコルの子孫は土地の名をとってハーコンと名乗るようになったのだった。
ハーコン一族はもっと聞こえのいい話をでっちあげて吹聴しているが、島の者は誰もがこの話をよく承知していたし、アルドリドの子であるハールやフィニアンはまして遠慮なく口にしてはばからない。こどもたちの傲慢に対して厳しい眼を向ける父やアソル夫妻も、ハーコンの話となると何も言わないのが常だった。
それどころか、
「なにしろ、スコルよりましな当主が出たためしがない、ときている」
とアドールは辛辣なことを言った。ハールは小さく含み笑いをした。
「フリッドに言わせると、現当主ギンナルは中でも最悪だとか」
「ああ、あれはわしより年下だからな。長生きされるとそなたも苦労するぞ」
アドールがめずらしく軽口で応じた。イェルズとの交易が上手くいっているらしい、とハールは察しをつけた。ここ2年ほど、妙にイェルズのものわかりがいい。2年という期間がハールの頭のどこかに響きかけたが、
「いかにギンナルといえども、山の下に手出しはしないだろうが」
という父の言葉で会話に引き戻された。アドールの眉間にはふたたび険しいしわが刻まれている。
ハールは小首をかしげ、
「北を気になさるのは、ハーコンがフレニン山の山肌を荒らすためかと思っていましたが」
と訊ねてみた。フレニン山は島の北部にあり、低山ながらこれが風よけになって北からの海風をやわらげている。農業国であるコルにしてみれば、失うわけにはいかない天然の防壁だった。
「山肌の樹木も大切だが…」
言いさして、アドールは言葉を切った。息子の顔を初めて見るもののようにまじまじと見つめてから、アドールは視線を外し、
「いずれ、そなたが領国を支配するようになった時にはわかる。なぜ北部が大事なのか。そもそも、我らアルドリドがここにいるのはなにゆえか」
アルドリドの当主が重ねてきた数百年の時に思い馳せるかのようにゆっくりと言った。
次回再掲は10月6日(土)になります
※画像はフリー画像です。