わたしが「言葉」に深入りしたきっかけは
「純粋な和語による物語を書こう」
と思い立ったこと。
和語とは漢語・外来語によらない
固有の日本語のことなのですが、
凝り性のわたくし、
「漢語・外来語で入ってきた概念を
和語に翻訳して生まれた言葉も排除」
って、
とんでもない目標に向かってしまいまして。
漢語と和語だとわかりにくいので
英語と現代日本語でたとえると、
「四季」「季節」は日本語だけど、
外国語にある「season」を表すために
明治期に作られた言葉だからアウト…
って感じです。
これで物語全編やり通すためには、
すべての言葉の語源を洗うしかない。
変化をたどりながら古い言葉に行き着き、
その言葉をさらに入念に調べあげて、
外来語の影がないか探る。
5年余り、毎日6時間ほどを費やし…
ついに、素人ひとりで
辞書を編もうとしてるような
自分の阿呆さ加減に気づきました(笑)
(↑本末転倒 とも言うね☆)
さて、この学習期に1番邪魔になったのが
江戸時代でした。
学問や知識の考えかた・扱いかたが
今とは違う時代とはいえ、
思いつき仮説やあやふや伝聞の書き放題。
書き手も読み手も、正確さよりも
面白けりゃいいじゃないか、
といった感じ。
まあ、現代は江戸時代に似てて、
地味でわかりにくい学説より
(視聴率・アクセスが稼げる)人目を引く仮説。
書き手の知識のほども曖昧で、
嘘か真か不明のままコピペされるネット情報。
このあたりをご想像いただくと
状況がわかりやすいかと思います。
だからこそ。
遠い未来の「同類」に向けて、
できるだけ正確なデータを残してあげたい。
平成の末期、
「破天荒」の意味が変化し始めた…とかね。
「現在」を生きていると、
流れの最末端で、何をどう扱おうが問題ない、
そんなふうに見えるかもしれない。
でも、
そうしてカタいこと言うなって生きた
お江戸の人々の後にも歴史は続き、
彼らの時代を
「古い(大事な)データのあるところ」
とするわたしたちがいるように、
わたしたちも歴史のバトンを受け渡す身。
考古学の発見を見ていれば、
必ずしも重要文書だけが残るわけではなく、
大工の落書きだって、長い年月を経れば
貴重な情報源になる。
歴史同様、
わたしはそう思って書いています。
画像選びが楽しみになってきた
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