杉本氏のあとがきを少々長く引用します。
【私の小説を原作としたテレビドラマなら問題はないが、私の小説は小説として別個に存在し、一方にドラマはドラマとして独り歩きしていて、そのくせ双方ともが、秀吉の妹を「きい」、「きい」の夫を“農民あがりの嘉助”として登場させていたら、一般の読者・視聴者が「この二つの名は、史実に基づき、二人の人物は実在の人物にちがいない」と思いこむのは当然であろう】。

数百万視聴者に向かって、数十万購読者に向かって、なにがしかの情報(ドラマなどの娯楽含め)を届けようというのに、きちんと調べもしないマスメディアの粗雑な態度に対し、この思慮はあまりにも誠実です。

たとえば津々浦々の神社仏閣、教育委員会や図書館、国鉄私鉄の案内所、児童向け歴史読物を出版する会社】などが【由緒書き、掲示板、パンフレット、案内書のたぐいを、孫引きの、また孫引きで末広がりに作ってゆくという状況も、起こりかねない。想像するだけで、私はぞっとした】。


1952(昭和27)年に懸賞小説に入選、選考委員の吉川英治氏に師事し、師匠が亡くなるまでの10年もの時間を修行に費やした杉本氏は【歴史の虚実を洗い出し、骨格をできるだけ事実で組み立てた上で、なお埋め切れない空白部分にのみ虚を充填してゆく】ことを基本姿勢として守ってこられた方。

それなのに、その私自身の頭からひねり出した架空の名前が】 略 【二十年三十年、五十年後には歴史上の「実」と誤られて、定着してしまうかもしれないのである】 略 【歴史に対するそのような不遜は、犯したくないと切実に思った】という誠心に涙が出ました。


このあたりの感覚は、古いものに関心が無い方には、あるいはわかりにくいことかもしれません。けれど、ネットやTVで紹介されたものが、そのまま鵜呑みに広がってしまう状況同様と捉えればおわかりいただけると思います。

たとえば「恵方巻き」。

仕掛けた商売人たちも「大阪の一部地域に伝わる」などと初めからあやふやなことを言ってましたが、本当に招福になるものか、その由来すらはっきりしないまま、もはや国民的行事になっています。

数十年もして、生まれた時から恵方巻き行事が当たり前だった人間ばかりになれば、誰も疑問を感じず、「伝統行事」でまかり通ってしまうことでしょう。

この場合、確かにある意味、すでに「伝統」となり始めているわけですが、だからといって「日本で古来から伝わる…」などと言えば間違い、大嘘です。

しかし「21世紀に入って、商業目的で流布された」という歴史的事実を書き留めた資料が残らなければ、遠い将来、本物の日本の伝統を学びたいと願う子孫がいたとしても、それを叶えることはできなくなってしまうのです。

 

 

わたしたちが1年1年、さまざまなことに泣き笑いしながら生きているように、さまざまなことが世間で起きているように、昔の人だって同じように生きていました(学校の勉強は「数十年単位」、あるいは「数百年単位」で引っくくられるものであっても)。

それに対して、戦火にも遭わず、過失にも遭わず、断捨離されることなく(笑)、残ってくれた物品や書物はあまりに少ない。

 

ここまで本格的に古いものでなくても、たとえば幼い頃のなつかしい玩具や雑誌などを探してみても、意外と残っていなかったりしますよね。

 

そして運が悪いと、誠実に世相を書き留めたものや調べて書かれたものが残らず、虚構や捏造、単なる宣伝、(杉本氏が危惧された『ドラマストーリー』のように)適当なことを書き並べたものが残り、それがでたらめであることを突き止めるのに数十年、数百年かかることもあるのです。

さらに続きます。

 

 

 

※北政所建立の高台寺 古い携帯写真ですみません(撮影はHubさん)

 

 

 

 

 

 

くま 解決できなかったりもしますね ふたご座