10世紀の辞書『倭名類聚鈔(わみょうるいじゅしょう)』には「布久呂不(ふくろふ)」と書かれており、フクロウとはかなり古い時代からの呼び名であることがわかります。
そしてやはり「食父母不孝鳥也」との解説がついています。
『倭名鈔』は日中辞書みたいなものなので、「父母を食い殺して育つ恐ろしい鳥」という伝説は、いろいろな文物同様、古代中国から輸入されて、やがて全国津々浦々まで広まり定着したもののようです。
親子関係に変わった習性があるわけでもないのに、中国で何故そうした伝説が生まれたのか。詳らかではありませんが、やはり昼行性の人間が本能的に恐れる「夜の生き物」であるためでしょうか。
確かに、夜の森で聴くには、少々こもった暗い声ですよね。
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フクロウの染物屋というと、誤ってカラスの羽根を真っ黒に染めてしまい、以来、カラスのいる昼間には隠れ、夜だけ姿を現すようになった…という昔話が有名ですが、こうした「親不孝鳥」に相応しい話もあります。
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むかし、あるところに染物屋があって、そこには手に負えない獄道息子がおったそうな。
ある日、お城からお使いが上等の白絹を携えてきて、
「十日ののちに殿さまが江戸へ上られる。それまでにこれを紋服に染めてくれ」
「かしこまりました」
と、さっそくきれいに洗って干していると、獄道息子が泥を塗りたくってどうにもならないほど汚してしまい、約束の日までに仕上げられなかった主は打ち首になってしまった。
さすがに獄道息子も悔やみ、父の亡骸にすがって泣いていたが、近所の子たちに石を投げられて追われ、親不孝の罰でフクロウになっても、人がいる昼間には隠れているようになった。そして、今でも夜になると出てきて、「糊付け干~せ」と鳴くのだそうな。
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鳴き声が「糊付け干~せ」にも聞こえるためか、フクロウには衣服と関係する話も多いです。
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むかし、あるところに母と息子がおった。
この息子が手のつけられない悪戯者で、1日何回でも洗濯しなくてはならないほど着物を汚して戻る。母は田仕事もあるので本当に大変な思いをして、天気を心配しながら夜せっせと洗濯しておった。
ところがその母は病気で死んでしまった。
自分では何もできないくせに、わがまま勝手をして母にひどい苦労をかけた…残された息子はようやく目が覚めて、本当に申し訳なく思った。
そして、あれほど天気を気にしてくれていたなぁと、そればかり思ううちにフクロウとなって、天気のよい夜には「糊付け干~せ」と鳴いては、母を恋しがるのだそうな。
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昔はすべて天然素材の手作りですから、着物は貴重品でした。
着替えまで持っていないことも多く、数少ない着物を、井戸から水を汲むところから始まる手洗いで、間に合うように洗うのはさぞ重労働だったことでしょう。
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そういえば、衣服に関わる話のあげく、「だからフクロウは薄汚い鳥なのだ」と結論されることもしばしばあります。
羽根色が明るいコのほうがやはり人気らしいものの、現代のふくろうカフェで可愛がられている姿を見たら、昔の人は何と言うでしょうね(笑)。
笑うメンフクロウ、可愛い~
※当ブログの昔話は渓美居堂くまらによる「再話」となります。
基本的には原話を大きく変更してはいませんが、特に今回は短縮したオリジナルですのでご注意ください。また、再話として書かれた物語は渓美居堂の管理下のものと認識しておりますのでご留意ください。