物語の大詰め、死にゆくメラニーの許へ駆けつけ、アシュレイの妻への深い愛を知ったスカーレットが、突然レットを探し求め、すがりついて求愛する姿に違和感を持たれた方もいらっしゃるかと思います。

長年の、妄執に近い恋だったのに、フラれた途端にいきなり旗色を変えて「本当はレットを愛していた」とは??


わたしが思うに、あの時スカーレットはひとつの“採点” を得たのだと思います。

何よりも旧南部社会を愛していたアシュレイは、スカーレットの中にその “華” を見ていました。時にそれは彼の表情に、言葉の端々に現れ、スカーレットを混乱させてきました。

とてもざっくり言うと、スカーレットのアシュレイへの執着は「その賞讃はどういう内容のものであるのか」の答えが欲しかったに尽きる、と思うのです。

結局はひとりの女性としてではなかったけれど、ひとつの時代と社会の象徴として、輝くばかりの“同胞” として賞讃されていた事実。それはプラスの評価であり、スカーレットにとって解答になり得たのでしょう。

そして「ひとりの女性としてではなかった」ことが、これほどあっさりと呑み込めるということは、やはりスカーレットもアシュレイその人を求めていたのではなく、はっきりした評価という「決着」が欲しかっただけ、ということではないでしょうか。

 




ネット画像から借用。

タラの夕陽が主役に見えるのはわたしだけ?(笑)

 

 


 

話はいったん逸れますが、若かりしわたしは、メラニーの叔母・ピティパットさんの戦争中の行動にも疑問を感じていました。

彼女はアトランタにメラニーやスカーレットを滞在させている当人であり、若い彼女たちの母代わりであるはず。それなのに、敵軍が迫るや、義理の関係でしかないスカーレットにメラニーを押しつけ、とっとと自分だけ避難してしまいます。

まあ、何かと気絶してしまう困ったちゃんなので、周囲もあきらめ気味なのでしょうが、こんなに無責任で、後々親戚から責められたり、つまはじきに遭ったりしないのだろうか?と不思議でした。


いま思うに、それが通るのであれば、馬が疲労で斃(たお)れるような道なき道をたどりながら、メラニーとお腹の子を守り抜いたスカーレットの行為は、度外れています。

戦火はおさまらず腰まで濁水に浸かりながら敵軍を避け、メラニーが「もう充分よ」と見捨てていくよう促すほどの逃避行。共倒れになり死にかねない状況で、スカーレットにそれを貫徹させたのは何か。



「アシュレイと約束したのよ」と彼女は言い続けます。

当然のことながら、義理の姉妹になったスカーレットに「妻を守ってやってくれ」と言った時、アシュレイはここまでの無理をさせるつもりなどなかったでしょう。いかに妻子を愛していても、スカーレットの安全と引き換えてでも…と望む人ではありません。

 

常識や依頼した本人の意図をはるかに超えるスカーレットの反応。そこには何かが隠れているような気がします。

 

 

 

 

 

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