ここまで続けたレット批判は、基本的にこのカップルを「マチスモ」から切り離したかったからです。
machismo とはスペイン語で「男らしさ」のことで、他言語圏でも取り入れられて「男性優位主義」や「男らしいとされる要素のひけらかし」の意を含みます。
そして、こうした「男らしさ(の誇示)」は互いに女性を見下すことで成り立っている部分があると感じます。
たとえば、戦後、スカーレットのビジネスを手伝っていたアシュレイが独立しようとしたくだり。
文化的で上品で善良な農場主=ひとつの時代の理想的な人物であったアシュレイは、新しい時代に適応できません(これには深い教訓がありますね)。たくましきスカーレットの個人的好意で与えられた仕事に従事している状態でした。
そこでアシュレイは仕事を探し、職を得た土地へ転居しようと企てますが、それを知ったスカーレットは「彼の助けがないと困る」とメラニーを泣き落としにかけて味方につけ、アシュレイは “女性連合軍” に怒りながらも希望を引っ込めてしまいます。
情けない。軟弱。柔弱。惰弱。だいたいそんな言葉が喚起され、やっぱりレットのほうが男らしくていい男…という印象を与えてきた場面でしょうか。
けれど、これが男性同士の話であったらどうでしょう。
ビジネスパートナーの都合で引き留められ、少し抵抗したけど恩義もあるのでやむなく受け入れた。何でも自分の意志を通せばよいと言わんばかりの世相では、やや情けなく見えるかもしれませんが、口を極めて男らしさを非難されることはないと思います。
さきほどの言葉の前には「女の言いなりになるとは」が隠れていますよね。
女の言うことなど無視するくらいが男らしいんだ、という “イキがったお兄ちゃんの見栄” に過ぎぬものが、広く常識と化してしまっているのです。
(弱者を叩いて自慢するほうがみっともないと気づくべきですが)
命のかかったスカーレットの抗議も涙も無視して戦場に置き去りにしたレットが男らしくて、スカーレットとメラニーの気持ちを受け止めたアシュレイは男らしくないというのでしょうか。
家族と家族同様の人々の中で、自分だけの希望を押し通すのではなく、周囲の意を汲み、彼女たちの笑顔のために忍耐するのは情けないことなのでしょうか。
だいたい、レットは忍耐が必要なことからはすぐ逃げますよね。本当の根性なしはどっちなんだって思うけど。
マチスモによって「レットはいい男」を基調としてしまっては、見えなくなるものがあります。
レットがいい男で、彼の言動が相対的に正しいとすると(まあ、そもそもそうなら破局はしないけどね 笑)、スカーレットへのハラスメントもすべては「教導」「指導」になってしまう。
DV夫(あるいは妻)も、毒親も、駄目教師も、劣悪上司も、醜悪な政治家も、その問題は世間一般のイメージ、刷り込み、先入観の陰に隠れがちです。
(むしろ盛大にかばわれたりしてね)
その実態を公平に剥き上げて、せいぜい行き当たりばったりの丸め込みをしているだけ、下手すりゃ怒りや悪意で追い込もうとしているだけ、ということを明らかにしないと本質に行き着けません。
その上で…
スカーレットは何故レットに従おうとするのでしょうか。
明日は休みます。日曜は補足記事の予定