レットにとって何より大事なのは、自分の描く理想もしくは夢なのだと思います。

 

だから理想に合わない事態を自分が招いてしまえば、共に過ごしている人を傷つけようが放り出そうが「失敗作」として丸ごと捨ててしまうし、相手が理想を台無しにしたと感じれば、怒りを以て叩きのめすのです。

その意味では、溺愛する娘とて、やがて自我が出てきてレットの “玩具” ではなくなれば、決裂したかもしれませんね。

戦場で置き去りにする時には彼女の能力や強さを信じているなどと言ったくせに、そのちからを存分に発揮してビジネスに打ち込むスカーレットを、結局は「戦争に毒された」としか思っておらず、その代わりの“無垢” として娘を溺愛したというのだから。



スカーレットはレットの脳内にある「(独り決めの)あるべき姿」を常に見つけるよう求められ、その型どおりでないといっては責められ、見限られた愚者のように放り出され続ける。

まったくのモラルハラスメントですね。

 

考えや利害が食い違った時、とりあえず言いくるめるなり高圧的に出て黙らせれば、それで解決したと思うのは愚かなことです。

 

その場はやむなく黙ったとしても、相手の胸中には“暴君” への負の感情や、不満や怒りが蓄積します。恋人や配偶者ならなおさらでしょう。

 

すると “暴君” はその不満だけは感じ取り、何が不満なのだと、また怒り出したりする。

 

自分では平穏な生活を求めているつもりで、それが実現しないのは相手に聞き分けがないからだと考えるけれど、この行動のどこに平穏が宿るというのでしょう。

 

一般的にスカーレットが浅慮でわがままだと言われることが多いように思いますが、レットはせいぜい「どっこい」だと思います。

(ひょっとしたら、「男」を笠に着られるぶんレットのほうが始末が悪いかも)



妊娠中のスカーレットに階段上で暴言を吐き、つかみかかる彼女をドヤ顔でよけて、階段を転げ落ちた彼女が流産する羽目に陥れた(下手すりゃ彼女自身死んでますが)場面に、レットの無神経・無思慮かげんがよく出ています。

たくましい男でございと言うなら、か弱い女性の攻撃くらい受けてやればよいものを。

 




ネット画像から借用。

ここは本当に名場面ですよねー。

タラの夕陽だけで観る価値のある映画かも(笑)

 

 

 

 

実は、レットは作者マーガレット・ミッチェルの前夫がモデルといわれています。レッドというこの男性、典型的なDV夫で、ミッチェル女史は泣かされたようです。

前夫の友人だったやさしい夫と再婚し、その助けを得て書き上げた小説なのに、結論が「レットを愛していた」とは解せません。

 

ミッチェル女史、そしてその投影であるスカーレットは本当にレットを愛しているのでしょうか。

 

 

 

 

 

くま やっと核心にきました しし座