映画『Extremely Loud And Incredibly Close(邦題:ものすごくうるさくて ありえないほど近い)』の中に、父親になる自信がなくて、妻子を捨てて逃げた男が出てきます。
主人公である少年の祖父にあたり、彼に捨てられた形の少年の父は、自分の知らない「善き夫、善き父」であろうと努力し続けた人でした。
そんな父をテロで喪った少年の物語なのだけれど、原作ではこの祖父が第二次大戦中、爆撃により目の前で両親を喪った(そのため失語症になった)ことが “通奏低音”として描かれているらしい。
こうして見ると、この作品はPTSDの連鎖の物語と受け取れそうですね。
連鎖を断ち切ろうとした父が、悪意の塊であるテロに散りながらも、その死後も、人々の善意によって、(アスペルガーを疑われたような)息子を呪縛から解き放った…
そこにこそ、物語の意味があったのだろうと思います。
エリック・クラプトンのこの曲の背景をくわしく知った時、わたしは上記の物語を連想しました。
※エリック・クラプトン
【ロック-ギタリスト。イギリス生まれ。
ヤードバーズ、クリームなどのバンドで活躍。
ブルース-ロックの代表的ギタリスト】
と、辞書にも載ってるミュージシャン
ちなみにヤードバーズ、クリームは
60年代の伝説的ロックバンド
4歳で事故死した息子に捧げた歌であるというのは知っていたけれど、先日、調べものの検索中、偶々この曲にまつわる悲話にぶつかったのです。
クラプトンは父を知らず、やはり映画の祖父のように子どもと接する自信がなく、妻子から逃げていたそうです。息子が4歳になるまで。
しかし、久しぶりに息子と過ごした彼は、初めて父親らしい感情を味わったらしい。そしてこれからは息子のためにああもしたい、こうもしてやりたいと語っていたそうです。
皮肉にも、その翌日。
住んでいたコンドミニアムで走り回っていた息子は、補修中で開けてあった窓を知らずに駆け抜けてしまい、53階の高さから転落…
Would you know my name
If I saw you in heaven?
もし天国で会ったら
名前をおぼえていてくれるだろうか
Would it be the same
If I saw you in heaven?
もし天国で会ったら
変わらずにいてくれるだろうか
I must be strong
And carry on
'Cause I know I don't belong
Here in heaven
前を向いて進み続けるために強くならなきゃ
ここ天国はぼくのいる場所じゃないから
Would you hold my hand
If I saw you in heaven?
もし天国で会ったら
手を握ってくれるだろうか
Would you help me stand
If I saw you in heaven?
もし天国で会ったら
ぼくを支えてくれるだろうか
I'll find my way
Through night and day
夜を昼に継いで
ぼくは自分の道を見いだしていくだろう
'Cause I know I just can't stay
Here in heaven
ここ天国はぼくのいる場所じゃないから
Time can bring you down
Time can bend your knees
Time can break your heart
落ち込む時もあるし
ひざをついてしまう時もある
心が砕けてしまう時も
Have you begging please, begging please
そして乞い願うんだ 乞い願うんだ
Beyond the door
There's peace I'm sure
扉の向こうにあるのは静穏
そう確信してるよ
And I know there'll be no more
Tears in heaven
だから天国には
もう涙はないんだって思うよ
事実は小説より苛酷
※【】内は『デジタル大辞泉』より引用。
※無記名の翻訳&現代語訳は長短によらず渓美居堂によるものです。
間違いについては責任取りません(笑)。