今日は「書きます予告」のひとつ、メンタル話を

 

昨日、愚痴をこぼしといて何ですが、

これぞ不屈のマシュマロメンタルってことで(笑)

 

 

 

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我が実家では缶詰をそのまま開けてはならなかった。


そのまま売り場に積まれている物、何が這ったか誰が触れたかわからないのに、開けようとすれば中身の水分があふれ、蓋の上の汚れが混じってしまう。必ずきれいに消毒してからでなければ不衛生だ、というのだ。

それでも確か、ごく幼い頃には、その「儀式」はなかったはずだ。

ある日、母親のいかにも気持ち悪そうな、そして、普通に開けようとするわたしを一緒に汚物扱いするような口調・態度で言い渡されたものだっと記憶している。

我が家はいつもそうだった。



大人になって、久しぶりに実家へ帰り、何かを食べようとスプーンを取り出した時のこと。皿の上にスプーンが出ているのに気づき、そのまま戻そうとしたところ、鬼の形相の母が飛んできてスプーンを引ったくった。

「手で触ったものを戻すなんて、

手垢や手の脂がついてるでしょうが!」むかっむかっ

(逆上&怒鳴りっぷりを視覚的に表現してみました 笑)

 

 

…いや、実家にいた頃はそこまでのルールはなかったし ひよざえもん がーん

なにより、あなたの娘はバイキンか。だったら他の場所も触れないでしょうに ひよのしん

などと 脳内抵抗したけれど、口に出したらまさしく発狂する人だから黙っていた。

 

 

母は看護師だからか衛生にはうるさく、その昔、近所の子たちと一緒に向かいのワンちゃんを撫でただけで、帰宅するや「汚い」と怒鳴り散らされたりした。

まったく合理的ではない意見も多く、たとえば、たたみの上に洗濯物をひろげて畳んでいたことはいつしか無になり、たたみへ衣服を置こうものなら「汚い」と怒り泣きを始める。

 

洗ったものをソファの上に置きたがるようになったが、どれほど衛生状態に違いがあるのか、意味がわからない。そんな有様。

そうなると家族のほうも、たとえば「ソファだって、そんなに衛生的じゃない」と対抗したりする。すると「それもそうだ」と禁忌が増えるのだ。

それに人間、汚いと言われれば「ちょっと嫌かな」という気分になる。くり返されるうちにピリピリと神経質になっていく。そうして互いに指摘し合い、禁忌を増やし合い、監視し合って暮らしていたのが我が実家である。
 

 

 

話はちょっと逸れるけれど、こんな戦闘的な家庭にいて、さらに親の仕事の都合で預けられては夜中に叩き起こされて連れ帰られ、その預かる側も幼児をいじめにかかるような人間だったとしたら、自律神経がまともに育つはずないと思うんだけどな。

もっと言えば、実はホントにまともに育つことができず、小学校低学年のわたしは、髪は灰色のバサバサ、爪は半月がなくボロボロ、肌も鮫肌で、今よりよっぽど老けていた(笑)。

担任が見かねて母に注意したくらい(この注意のせいで、母親は生涯この人を憎んでいるが)



話を戻して。
おかげでわたしの中にも禁忌はかなり多い。アルコールに拒否反応が出たほど消毒していたし、実家で目の仇だった油分にはやはり敏感で、手に油汚れがついたら食器用洗剤で手を洗わないと気が済まなかった。

社会に出て、他人のやりかたはすべて雑で不潔に見えた。逆に他人から見れば、わたしは無駄なことに手を掛ける人間で、実際、中華居酒屋でバイトしてた時は食器洗いの洗剤使いすぎをマスターに注意されたりした。



もちろん、神経質がすべて「悪」というわけではない。
Hubさんが会社からノロウィルスをもらって来た時、うちでは普段どおり暮らしているだけで感染予防OKだった(笑)。



だけど。
わたしは敢えて気持ち悪いと思う場所を担当したり、雑だと思えてしまうやりかたを真似たりして「こうやっても大丈夫」と自分に言い聞かせる方法をとった。

鍵を失くしてテラスへ追い出されたトラウマからか(笑)、施錠確認に何度も戻るようなこともしていたが、わざと施錠せずに外へ出て、物陰で待機しながら「大丈夫、そう簡単に空き巣はこない」と言い聞かせて自分を納得させた。(なんてアヤしい人 笑)

 

 

 

長くなったので続けます。

(鍵を失くしてテラスへ追い出された話は『鍵をなくすと…』へどうぞ)

 

 

 

 

くま 何の因果だったのでせう。 おうし座