昨日の朝から嵐模様で、まだ不穏な感じ

 

身体もやっぱり不穏な感じのままですが、

なんとか続きを書き上げました

 

 

 

自分が「休み休みやる」ことを

休んでるほうにフォーカスすることしか

知りませんでした

 

休みながらでもやり続けてるんだ

 

ずいぶん長く生きて、ようやく気づいた観点(笑)

 

 

 

 

 

おカネの話の続きです 下矢印

 

 

ずっと納得がいかないのが、就職の時の「志望動機」

 

普通に、職を求める理由は「おカネが必要だから」でしょ?
たとえば親が子の進路相談に乗る時、「その方向性で食べていけるのか」という要素を完全に外す人はいないと思う

 

ところが「お金が欲しくて就職します」というと嫌な顔をする人ばかり


呆れるのが、そこらでバイトするにも履歴書の志望動機を埋めねばならず、何のかの、もっともらしいことを書かないといけなかったりする

 

 

 

なぜ「お金が欲しいから働きます」→「カネ目当て」→「カネさえもらえれば(という不真面目な態度)」と短絡してしまうのだろう


面接官へ逆に訊いてあげよう
あなたは、いただいているおカネに見合う仕事をするよう、努力されてはいないのですか?


 

 

ミケランジェロの逸話と手芸のたとえを思い出してもらいたい
友人・知人であることにつけ込んで、その価値もない素人作品を売り込むような人間を除き、真面目に報酬をもらうことはシビアなことだ

 

「お金が欲しくて働く」というのは、おカネをいただけるだけの仕事をする覚悟と気概であるべきだろう


 

 

行き過ぎた「おカネじゃないよね」理想論はそれやこれやをぼやかしてしまい、多くの人が持つ雰囲気だけの好悪は百害をもたらしていると思う

 

 


昔、有名美大の近くにあるカフェに入ったところ、隣の席で教授か講師らしき人が熱弁をふるっていた


「誰も彼も “面白いものを作りたい” と言う、 “高度なものを作りたい” と言う人はいない、しかし “面白い” とは何だ、そんなものは人によって変わる、そんな漠然としたものに寄りかかるな、まず(技術の)高みを目指せ」

 

思わず、ティーカップを置いて粛然と拝聴してしまった(笑)

 

 


おカネの話(ひいては生きかた)も同じことだと思う


これといってやりたいこともないのに目の前の仕事を軽んじ、あまつさえそれがカッコいいみたいに勘違いし、何かが他にあるはずだと不服を言う

 

やたらと「やりがい」などと言うけれど、何であれ仕事に就いたからにはおカネをいただけるだけの仕事をするんだ、という気組みもなくて、働く張り合いなんか見つかるものではないだろう

 

 

これだって、ひとつには歪んだゼニカネ観が生んだものだと思う


「誠実におカネをいただくこと」が、夢や希望と並ぶほど大事なことだと心からわかっていれば、普通に生きることを下に見ることもなく、何もないものを逆さに振る必要もないのに

 

 


そして「他に大事なことがあるんだ」的な思考は、目の前の仕事には「テキトーにやって、カネさえもらえりゃいい」という姿勢を生みやすくなる

 

空疎なキレイゴトは、働くほうの真のモチベーションにもならず、他所を夢想して手を抜く人々の仕事におカネを払う客の利にもなっていなければ、質の悪い労働に給料を払う雇用者の利にもなっていない結果を生んでいると思う

 

 


ゼニカネを漠然としたキレイゴトに置き換えたがる社会的「アレルギー」
あり得ないほど働いた “モーレツ” 高度成長期への反省や反発もそこにはあると思う

 

けれど、おカネじゃないよね的理想論は、江戸期以来のキレイゴト武士道と絡み合って、モーレツ以上のモーレツの押しつけにも結びついている

 

 

労働を給与で買い取っていると思えば、雇用者とて対価以上のものを求めてはならないのが当たり前


青春ドラマばりの熱血論で時間外労働を賞讃する愚かさは、「おカネじゃないよね」と言えば感動的だとでも考えている社会が生んだものだろう

 

おカネでなく、大事なのは精神的ななにものかだなどと言い出すから、残業拒否を一律に「やる気がない」とする見かたを通用させ、しまいに命を絶ってしまうほどの病に追い込んだりするのだ

 


たとえば、わたしは教師が休日返上で部活動の指導をやらされる「奉仕」なんて論外だと思う

 

でも熱血教師こそカッコよくて正義だと “夢見る” 人々は、平気でゼニカネ言うなと考え「熱意がない」などと言い出す

 

自分と自分の家族以外は、カスミ食って不眠不休で生きられるとでも?

 


 

言わず語らずが問題なく通用するのは、誰も彼もがその裏にある「意義」を呑み込んでいる場合だけだ

 

少なくとも昔の日本人のように「意義はよくわかってないが、おとなしく先例を守っている」あいだは、まず大きな問題は出ないけれど、それでも、吉良上野介が惨殺され汚名を着せられたように、思慮の足りないモンスターが出てきた時点で破綻する

 

 

 

ゼニカネ言うのは決して不潔なことではない
喜捨の食物だってタダじゃない、一銭も不要な人はこの世にいない

 

だからこそ「対価をいただく」のは安易なことではない
(それは給料や売り上げの形で受け取るほうだけでなく、
労働やサーヴィスなどの形で受け取るほうも同じことだ)

 

 

誰もが「おカネをいただくこと」を尊び、対価として表裏を成す利の流れとその意義をしっかり見つめて、その上で、皆の利ができるだけ理に適うようやり取りされることを考えるべきだと思う

 

 

 

 

くま 明日はまた休みます おひつじ座