一昨日書いた大聖歓喜天は
男女の神が抱き合った形をしています
そのため日本では
「夫婦和合」「子宝授かり」の神としても
信仰されているようですが
インドでは男女神が一緒にいる、
あるいは一体の神が
男女半々になっている造形も
多く見られます
これは「性力信仰=シャクティズム」
神の真のチカラは
その神妃を通じて顕れるという考えを
表現したものなのです
世界じゅうで、古い古い神話
原形に近いような昔語りには
強力な女神がおわします
大地母神(だいちぼしん)
命を生み出す女と
命を生み出す土地
そのイメージの重なりから
顕れた女神たち
男の都合と聖母幻想に歪む前の
時には残忍で奔放な神々
ところが
社会が男性優位になるにつれて
彼女たちは貶められ
どうかすると悪魔呼ばわりされます
(アスタルテなんか1柱で複数の悪魔に発展 笑)
それでも(特に農耕が盛んな地域では)
女神信仰は簡単には覆(くつがえ)らず
インドでは
シャクティズムとして残ったのです
ベースに各女神そのものへの信仰が
厚く残っているわけなので
男性優位社会での「落とし所」が定まれば
ふたたび女神信仰も盛んになりました
さて、弁才天は先日書いたとおり
河川の女神サラスヴァティー
おそらく「銭洗い」という
流れる水に関わる神事は
サラスヴァティーの残影と思われます
日本では昔から多くの人が
「ザイ=財」と思い込み、
弁才天を金運の神と勘違いしていますが
本当の富の神は吉祥天です
元ネタはヴィシュヌの神妃でラクシュミー
美しい富裕と幸運と豊穣の女神で
南インドでは穀物の女神ともされています
不死鳥に見えた雲
仏教の護法神「天部」の一部と
元ネタとなったインドの神さまのこと
今日で終わります
実は、女神信仰の移り変わりと
社会における男女差別の流れについて
ずっと書きたいと思っていて
シャクティズムから続けるつもりだったのだけど
お豆腐メンタルと
ストレス連動型フィジカルのわたしには
淡々とブログを続けるのがきつくなってきました
しばらくお休みします
泣く場所が欲しい