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今日は、白井義男さんが日本で初めての世界チャンピオンになった日。
時は1952(昭和27)年、為政者側から「もはや戦後ではない」という言葉が出たのが1956(昭和31)年であることを思うと、まだ日本が敗戦の影の中にいた頃。世界という大舞台で活躍する方が現れたことが、こなごなになった日本人の自負心を慰めてくれたのでしょう。
父親が格闘技好きだったもので、わたしも小さい頃からボクシングやプロレスを観て育ちました。プロレスに関していえば、若い頃はかなりハマって実際に試合を見に行ったりもしていました。
しかし、よく言われるとおり、ボクシングは女にはちょっと酷(むご)すぎ怖すぎる。実際、プロレスならばその当時でもまばらに “同好の士” がおいででしたけれど、ボクシングは会場に女性の姿がほとんどなかったように思います。
格闘技は割と何でも観ていたわたしですが、お相撲は苦手でした。やっぱりヴィジュアルの問題で(笑)。
ほっそりしたソップ形と言われる力士さんは貫禄不足で “らしくない” 感じに見えるし、アンコ形と言われるでっぷりした力士さんはトロそうにしか見えません(失礼!)。白鵬のようなモンゴル系の力士さんが出てくるまで、カッコいいと思えるバランスの方を存じませんで。
ちなみにソップ形の「ソップ」とはオランダ語でスープのこと。江戸期の海外文化といえばオランダ商館を通じて入ってくるものでしたから、明治以降も洋物はオランダ語の呼称が多かったんですね。そのスープを取る鶏ガラのようだというので、痩せ型の力士さんをソップと呼んだそうです。
対するアンコ型の「アンコ」はお魚のアンコウのこと。これは見たまんまでしょうね( ´艸`)。
そういえば、明治期の青年たちを描いた杉浦日向子氏の作品に「こっちは組みつくが、向こうは殴り合う」と、外国人とのケンカの違いを語るシーンがありました。
西洋人はボクシングのように立って殴り合い、日本人はお相撲のように低く構えてがっぷり組む。19世紀末あたりまでは、ケンカにさえも国ごとの伝統のようなもの、連綿と伝わる “ソウル(soul)” があったのでしょうか。
産土(うぶすな)の “ソウル” を伝える昔話にも、お相撲はよく出てきます。中でも好きなのが以前書いた「猪の相撲」と、このお話。<「猪の相撲」は「月の夜話」へどうぞ>
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むかしむかし。あるところに貧しい爺さまと婆さまがあった。
ある日、爺さまが山へ柴刈りに行くと「デンカショッ、デンカショッ」とかけ声が聞こえてきた。不思議に思って声をたどって行ってみると、痩せこけたネズミと太って強そうなネズミが相撲を取っていた。
よくよく見れば、痩せネズミは我が家のネズミ、福々しいのは長者どんのネズミ。まあ、あんまりにも我が家のネズミが投げ飛ばされ続けるものだから、爺さまはすっかりネズミが可哀想になった。
爺さまは家へ帰ると婆さまにわけを話し、餅米を借りてきてふたりで餅を搗き台所へ置いてやった。ネズミは喜んでそれを食べた。
翌日、爺さまが昨日のようにようすを窺ってみると、爺さまの家のネズミはすっかり強くなって、2匹の相撲は勝負がつかなくなっていた。長者どんのネズミが不思議がって、どうして急に強くなったのか訊ねると、爺さまの家のネズミは餅を食わせてもらったからだと答えた。
「それはうらやましい。俺も訪ねていくからごちそうしてくれろ」
「うちは貧乏だから、そうそう餅など搗けん。お前が銭を持って来たらごちそうしてやる」
ネズミの話を聞いた爺さまは、また婆さまにわけを話して、その晩は2匹ぶんの餅を搗いてやった。婆さまは縫い物をして、小さな赤いふんどしをこしらえてやった。
長者どんのネズミは大喜びで大金を置いていったので、爺さまと婆さまは大金持ちになった。そして2匹のネズミは、婆さまお手製の赤いふんどしを締めて、どっちも丸々と肥えて、「デンカショッ、デンカショッ」と元気よく、毎日いい勝負をしたそうな。
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ネズミは福の神なのよ。

