昨日、TVを消す際にたまたまNHKの『日曜美術館』をちらりと経て、聞こえてきた言葉に耳を疑いました。「眉をしかめ」…ナレーションのアナウンサーが確かにこう言ったのです(引用ではなさそうでした)。
混同されがちですが、「しかめる」のは「顔」です。「眉」は「ひそめる」のです。
このふたつは同じ漢字を用います。「顰」というややこしい文字ですが、前に置かれる言葉が「顔」なら「しかめる」・「眉」なら「ひそめる」と読み、はっきりした区別がされています。
何度も書いていますが、一般の人も、できれば間違った言葉遣いはやめて欲しい。
放っておいても、誰もが《自分の中の言葉の意味》を共有しているわけではありません。自分は「A」というつもりで言った言葉が「B」と取られて困ったり、事がこじれたりした経験は誰しもあることと思います。
たとえば「可哀想」という言葉を非常に嫌う人がいますが、わたしは相手に寄り添う気持ちがあるだけ好きです。「同情」の何がいけないのか。感情を相手と同調する=相手の身になるという意味ではないのか…と思ったりもしています。
けれど、これらが皮肉に使われる例が身に染みている人は、やっぱり不愉快でしょう。話すのなら別の要素(口調や表情など)もありますが、どのみち言葉そのものも、自分の感覚どおりに使われているものとは限りません。
言葉そのものが間違っていなくても、そこから呼び覚まされる感覚はそれぞれ。それなのに、その上、思い込みで間違った言葉を使っているとしたら?
言葉の間違いを正そうという意見に対し「言葉は生き物」的な反論をする人も多いけれど、変化するからこそ原義は押さえておかないと、いずれ手痛い地雷を踏むか、自分の狭い世界(地方・世代など)でしか通じず困る場合もあるでしょう。
言葉は相手に通じてナンボ。面倒がって利いた風な反論をするより、素直に間違ってない言葉を憶えたほうが楽だと思います。
と、一般には《提案》したいだけですが、マス-メディアとなれば話は別。
仕事でしょ、あなたがたは。それに、自分たちの影響力も重々知っている。だからこそ、あんなに高圧的なんでしょ。頼みもしないのに「取材してやるから金を出せ」とか、よくある話ですわね(TVに取り上げられた!なんて宣伝のカラクリはこんなもん)。
それならせめて真剣に仕事してください。
マス-メディアの手抜きは、明日を生きる子どもの「知」を迷わせる、と思います。
ネットも目に余るものがあるが。

混同されがちですが、「しかめる」のは「顔」です。「眉」は「ひそめる」のです。
このふたつは同じ漢字を用います。「顰」というややこしい文字ですが、前に置かれる言葉が「顔」なら「しかめる」・「眉」なら「ひそめる」と読み、はっきりした区別がされています。
何度も書いていますが、一般の人も、できれば間違った言葉遣いはやめて欲しい。
放っておいても、誰もが《自分の中の言葉の意味》を共有しているわけではありません。自分は「A」というつもりで言った言葉が「B」と取られて困ったり、事がこじれたりした経験は誰しもあることと思います。
たとえば「可哀想」という言葉を非常に嫌う人がいますが、わたしは相手に寄り添う気持ちがあるだけ好きです。「同情」の何がいけないのか。感情を相手と同調する=相手の身になるという意味ではないのか…と思ったりもしています。
けれど、これらが皮肉に使われる例が身に染みている人は、やっぱり不愉快でしょう。話すのなら別の要素(口調や表情など)もありますが、どのみち言葉そのものも、自分の感覚どおりに使われているものとは限りません。
言葉そのものが間違っていなくても、そこから呼び覚まされる感覚はそれぞれ。それなのに、その上、思い込みで間違った言葉を使っているとしたら?
言葉の間違いを正そうという意見に対し「言葉は生き物」的な反論をする人も多いけれど、変化するからこそ原義は押さえておかないと、いずれ手痛い地雷を踏むか、自分の狭い世界(地方・世代など)でしか通じず困る場合もあるでしょう。
言葉は相手に通じてナンボ。面倒がって利いた風な反論をするより、素直に間違ってない言葉を憶えたほうが楽だと思います。
と、一般には《提案》したいだけですが、マス-メディアとなれば話は別。
仕事でしょ、あなたがたは。それに、自分たちの影響力も重々知っている。だからこそ、あんなに高圧的なんでしょ。頼みもしないのに「取材してやるから金を出せ」とか、よくある話ですわね(TVに取り上げられた!なんて宣伝のカラクリはこんなもん)。
それならせめて真剣に仕事してください。
マス-メディアの手抜きは、明日を生きる子どもの「知」を迷わせる、と思います。
ネットも目に余るものがあるが。
