3日2-②

見た目よりもずっと奇妙なローエの家で一夜を過ごすのは刺激的な体験だった。
ひと部屋だけしかないと思われたのに、ふと壁に通路が口を開けている。入っていくと簡素だが気持ちのいい寝室があって、寝台がふたつ並んでいる。
「それでは、王子とヴィト殿はおやすみください。我々ふたりは見張り番を」
アルドーが生真面目な声で言い出せば、さきほどまで確かに壁しかなかったところに扉が現れ、その奥にはやはりさっぱりした寝室がある。
「ローエ殿のお宅で見張りもないだろう。明日からはまた旅の身だ、今夜はゆっくり休ませていただこう」
ハールは笑って言い、突然あらわれて駒を踊らせるシュアックの盤や、しばしば天井から降りてくる酒杯や果物を載せた小さな台などに面食らいつつも、若者たちはひさしぶりのやわらかく清潔な寝台でぐっすり眠った。
朝になり、皆は最初の部屋でローエとともに食事をしたが、その時には、螺旋(らせん)の棚がめぐらされたこの部屋のどこにも通路は見当たらなかった。
「不思議な術ですね」
疑問ではち切れそうな一行を代表したハールの問いかけに、
「すべてはたたみかたじゃ。祭りの時の大きな玉飾りのついた帽子も、たたみ加減でただの地味な布に見える。そういうことじゃよ」
ローエは簡単に答えて、
「見えぬようにたたんだ罠にかかっておればよいが」
と、ひとりごとを続けた。皆が首を傾げるひまもなく、せわしなくテーブルを離れたローエは玄関の扉を開いた。
「おお、ハール王子、方々(かたがた)、上手くいったぞ」
呼びたてる声に一行は玄関へ向かった。ポーチのローエはげらげら笑っている。
扉の外には森がひろがっているが、昨日ハールが見たのともまた違う場所で、少しだけ開けた空間には澄んだ泉が清らかな面(おもて)を見せている。そのほとりのやわらかい草が踏みにじられて青い香りが立ちこめており、草を蹄(ひづめ)に掛けた生き物はポーチの下でもがいていた。
「ルージェと呼ばれる生き物じゃ。見た目は鹿に似ておるが頑丈でな、そのくせ毛並みは絹よりもやわらかい。それゆえ、ほとんど狩られてしもうての。今ではこの森にしかおらんらしい。これがまた、春先にはいい香りがするんじゃよ。ああ、オスだけの話じゃがな、それでメスを惹きつけて…」
「ローエ殿、そのルージェを何とされるのです?」
“ 森の賢者 ” の脱線ぶりに慣れたハールがさえぎった。
「おお、そうじゃった。これらは頑丈ゆえ、男でも騎乗できる。あまり長くは保たんがな。丘陵地帯まで早めに抜けるに越したことはない。これに乗って行くがよい」
目に見えぬ何かに足を取られているルージェのもとへ降りると、ローエはその首筋や額を撫でながら何かを小声でささやいた。ささやかれたルージェはしぶしぶ立ち上がり、他のものも立って一行に背中を向けた。
馬よりは細身で頼りなく、乗りにくさも感じたが、敏捷さはその身体から伝わってくる。亡者が出没する地帯を駆け抜けられるならありがたい。ハールたちはしばらく乗り馴らしてからローエに別れを告げた。
「数々のお気遣い、痛み入ります」
「なに、デウィンの言葉に “ 関わりは分かち合うもの ” と言う。助けられるものが助ければいい」
ローエが手で指し示すと、その方向にだけ道が見えた。
「しばらく道をほどいておる。早く行きなされ」


つづく。


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