28日2-②

Wikipediaによれば「イティハーサ」とはインドの言葉で「歴史」という意味なのだそうだ。

水樹和佳子氏によるSFマンガ『イティハーサ』は【1987年より1997年にかけて集英社刊行の少女漫画雑誌『ぶ~け』にて不定期連載された。掲載誌の方針が変わったために打ち切られてしまうが、最終巻を描き下ろす形で1999年に作品は完結した】もの。

個人的には、日本における『指輪物語』ではないかというほどの名作だと思っている。

水樹和佳子氏といえば、他にも『樹魔・伝説』というすばらしい作品がある。
「進化」を通奏低音とした連作で、ひとつの方向に収斂された文明はたったひとつの絶望で滅び去る、悪意的な異星人により仕掛けられた罠を通して、水樹氏の「多様性」へのこだわりが読み取れる。

その「多様性」へのこだわりを引き継ぎ、もはや善悪も分け隔てられない世界観で紡がれたのが『イティハーサ』である。

古い古い時代の日本、《目に見えぬ神》を信奉して暮らす人々。しかし外つ国では《目に見える神》善神「亜神(あしん)」たちと、悪神「威神(いしん)」たちの信徒に分かれてすでに長く争い、その戦が島国にも持ち込まれつつあった。

捨て子の女の子を拾い「妹」として育てる少年「鷹野(たかや)」、拾われた赤児「透祜(とおこ)」、そして孤児の鷹野の保護者的立場の青年「青比古(あおひこ)」。透祜が少女になった頃、三人の住む村が「威神」の信徒集団に襲われて全滅した。

三人はその後に村に現れた「亜神・律尊(りっそん)」の信徒集団と行動を共にするが、単純に「亜神」を “ 善 ” とすることも信じることもなく、なにゆえ戦いが持ち込まれてきたのか、この戦いの果てに何があるのか、問い続けるために一線を画している。

この律尊のもとには「(かつら)」という男勝りの女戦士と、彼女を慕う「一狼太(いちろうた)」という強者がいた。威神の集団は子どもを捕らえ、無慈悲な戦士に仕立て上げる。一狼太は威神のもとから逃れてきた者で、彼を信じる桂が「ただひとりの女」だった。しかし桂は青比古に惹かれてしまう。

青比古の血筋は「真言告(まことのり)」という、言霊というか、音声による呪術を能(よ)くする者たちだが、男の場合、いずれ正気を失うことが運命づけられている。それゆえに彼は善悪の彼岸を行くような視点を持っている。

透祜には双子の姉妹「夭祜(よおこ)」がいた。互いに会えば殺し合う運命と予言された姉妹ゆえ、透祜は川へ流されたのだったが、夭祜たちの村も威神に襲われ、捕らわれた彼女は威神の戦士として生きてきた。双子の強い結びつきのため、夭祜が死ねば透祜も死ぬ。それゆえに人を殺し、苦しみながら生きてきた…

どこかで自分の知らぬしあわせな暮らしをしている姉妹を思い、血塗られた道を歩いてきた夭祜。しかし、ふたりがめぐり会った時、夭祜は呪われた《神鬼輪(じんきりん)》の作用のため我を失って透祜を殺してしまう。

夭祜の槍をあえて受けた透祜。ところが夭祜の身体の中に透祜の魂が宿り、透祜と夭祜の記憶を生きるのである。

透祜はいわゆる「善」側の道を歩いてきた。人殺しや略奪などの「悪」を否定してしまいたい。そんな記憶は消したい。けれどもそれをすれば、自分のために耐えてきた夭祜を否定することになってしまう。夭祜を消すことになってしまう。不可思議な繁茂をするツタの中に埋没してしまうほど苦しむ透祜が「善と悪を知ったふたりの結合体」として甦るところが前半の重要な場面といえるだろう。

悪には悪の魅力があり、悦楽があり、人は悪にも惹かれる。亜神に付きながら悪に惹かれ、叶わぬ想いの苦しみも相まって、ついに威神のもとで「自由」になる一狼太の姿とともに、皮相な善悪の差別など消えてゆく。

明日に続きます。


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