タイトル変更しました。
恋上手は歌上手…やがて社会が一部だけとはいえ豊かになり「文化」が花開くようになると、ポイントは歌だけではなくなってくる。
平安期の上流階級の女性は外出どころか自室からもめったに出なかった。庭さえ御簾(みす=すだれ)越しに眺め、下男などに姿を見られないように気を配ったという。そのため、恋の始まりはお互いの姿形も知らないままということになる。
交際は、男性の側が何かしらのきっかけで女性に関心を寄せ、文(ふみ=手紙)を送るところから始まる。文の内容はもちろん歌である。ちなみに、きっかけは『源氏』の「雨夜の品定め」のように男同士の噂話だったり、おしゃべりな使用人から洩れる評判だったり、もっと現実的に、出世の役に立ちそうな人間の縁者だから…というところからだったりしたようだ。
その文からすでに恋の駆け引きは始まっている。どんな色のどんな作りの紙にどんな筆蹟で文字を書くのか。もちろん、香も薫き込めておかねばならない。また、文はそれだけを届けるものではなかった。季節の草花などを添える、その気遣いやセンス、ひそめた意味にこもる教養なども計られる。そして肝心の歌の出来。これらの総合で女性の気持ちを引き寄せる。まさしく「中身で勝負」である。
そして女性の側も返事をする。あまり気がない場合や相応しくない相手の場合、乳母(めのと=養育係)が代筆して適当にあしらうこともあったようだ。しかし、男性はそこでめげてはならない。その場合も姫本人から返事をもらったかのように熱心に文を送る。すると、時には乳母のほうが熱意にほだされて手引きしてくれることもあった(笑)。
もちろん、姫本人がその気になってくれることも多い。そうすると手ずからの文となり、歌も自作(苦手な人の場合、添削はされるだろうが)、彼女やその周囲の人柄や教養や美的感覚が見えてくる。それを愛しく感じるようになった男性は次のステップを望む。しつこいようだが、この時点でも互いの姿は知らない。空虚なかけ声だけの現代とは異なり、我々の祖先は本当に「中身で勝負」をしていたのである。
次のステップはもちろん直接会うことだけれど、これまた「会った」といえるか微妙なものだった。
女性とその周囲の許可を得て、男性は女性の邸宅へ赴く。ただし、室内には入れない。平安の住居は周囲に縁側をめぐらしたような形をしているが、どんなに身分の高い男性でもその外縁に座り、御簾越しに話をするのが当然のことだった。
互いにわかるのは声と口調、それとない雰囲気だけ。近くまで来ているから香りなどはわかったかも知れないが、現代でたとえるなら電話でのやり取りといった感じだろうか。そのためか、清少納言の『枕草子』に「声がきれいな人が理想」と語る貴公子の言葉が残っている。
逢瀬を重ねて最終的にやっと男性が女性の部屋に入ると、いきなり話は加速する。乳母や侍女たちは床を用意して消えてしまうのである。おしゃべりだけで我慢という状態からフルコース(笑)へ…平安の恋愛の進みかたは現代とは手間を掛けるフェイズがまったく違う。
そして、この時はじめて…というか、正確にはコトを済ませた翌朝、明け初めた朝日によってようやっと相手の顔や姿を見ることになる。
当然、ガクゼンとする場合もあっただろう。しかし、その場で露骨に嫌な顔をしては相手を傷つけ「趣のない人」などと悪評が立ってしまう。その場はつくろって、文を途絶えさせるなどの方法でそれとなく伝えるのが一般的だったと思われる。
ここで思い出されるのが『源氏物語』の光源氏である。
と、やっと『源氏』にたどり着いたところで力尽きた(笑)。続きはまた明日にいたします。
どうもタイトルいまいちですな…

恋上手は歌上手…やがて社会が一部だけとはいえ豊かになり「文化」が花開くようになると、ポイントは歌だけではなくなってくる。
平安期の上流階級の女性は外出どころか自室からもめったに出なかった。庭さえ御簾(みす=すだれ)越しに眺め、下男などに姿を見られないように気を配ったという。そのため、恋の始まりはお互いの姿形も知らないままということになる。
交際は、男性の側が何かしらのきっかけで女性に関心を寄せ、文(ふみ=手紙)を送るところから始まる。文の内容はもちろん歌である。ちなみに、きっかけは『源氏』の「雨夜の品定め」のように男同士の噂話だったり、おしゃべりな使用人から洩れる評判だったり、もっと現実的に、出世の役に立ちそうな人間の縁者だから…というところからだったりしたようだ。
その文からすでに恋の駆け引きは始まっている。どんな色のどんな作りの紙にどんな筆蹟で文字を書くのか。もちろん、香も薫き込めておかねばならない。また、文はそれだけを届けるものではなかった。季節の草花などを添える、その気遣いやセンス、ひそめた意味にこもる教養なども計られる。そして肝心の歌の出来。これらの総合で女性の気持ちを引き寄せる。まさしく「中身で勝負」である。
そして女性の側も返事をする。あまり気がない場合や相応しくない相手の場合、乳母(めのと=養育係)が代筆して適当にあしらうこともあったようだ。しかし、男性はそこでめげてはならない。その場合も姫本人から返事をもらったかのように熱心に文を送る。すると、時には乳母のほうが熱意にほだされて手引きしてくれることもあった(笑)。
もちろん、姫本人がその気になってくれることも多い。そうすると手ずからの文となり、歌も自作(苦手な人の場合、添削はされるだろうが)、彼女やその周囲の人柄や教養や美的感覚が見えてくる。それを愛しく感じるようになった男性は次のステップを望む。しつこいようだが、この時点でも互いの姿は知らない。空虚なかけ声だけの現代とは異なり、我々の祖先は本当に「中身で勝負」をしていたのである。
次のステップはもちろん直接会うことだけれど、これまた「会った」といえるか微妙なものだった。
女性とその周囲の許可を得て、男性は女性の邸宅へ赴く。ただし、室内には入れない。平安の住居は周囲に縁側をめぐらしたような形をしているが、どんなに身分の高い男性でもその外縁に座り、御簾越しに話をするのが当然のことだった。
互いにわかるのは声と口調、それとない雰囲気だけ。近くまで来ているから香りなどはわかったかも知れないが、現代でたとえるなら電話でのやり取りといった感じだろうか。そのためか、清少納言の『枕草子』に「声がきれいな人が理想」と語る貴公子の言葉が残っている。
逢瀬を重ねて最終的にやっと男性が女性の部屋に入ると、いきなり話は加速する。乳母や侍女たちは床を用意して消えてしまうのである。おしゃべりだけで我慢という状態からフルコース(笑)へ…平安の恋愛の進みかたは現代とは手間を掛けるフェイズがまったく違う。
そして、この時はじめて…というか、正確にはコトを済ませた翌朝、明け初めた朝日によってようやっと相手の顔や姿を見ることになる。
当然、ガクゼンとする場合もあっただろう。しかし、その場で露骨に嫌な顔をしては相手を傷つけ「趣のない人」などと悪評が立ってしまう。その場はつくろって、文を途絶えさせるなどの方法でそれとなく伝えるのが一般的だったと思われる。
ここで思い出されるのが『源氏物語』の光源氏である。
と、やっと『源氏』にたどり着いたところで力尽きた(笑)。続きはまた明日にいたします。
どうもタイトルいまいちですな…
