昨日、1965(昭和40)年のノーベル文学賞についての裏話を朝のNHKニュースでくり返しやっていた。NHKが資料請求して当時のようすを調べたというから、特番でもやるつもりで、あれは番宣の一種だったのだろうか。
この頃、3年連続でノーベル賞候補に挙がっていた日本人文学者は4人。川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎、西脇順三郎の諸氏で、うち谷崎氏は65年に亡くなっている。ノーベル賞受賞の条件には「生きていること」も入っているので、運悪く受賞前に亡くなれば、たとえその人が候補の中でもっとも相応しくとも、すべて白紙撤回である。
たとえば、ニュートリノ関連からはまだしばらく日本人の受賞が続くだろうと言われている。最先端の研究チーム内に大きな学術的成果が続くのは当然のことだが、以前にも書いたとおり、小柴教授に続くと目されていた研究者はガンで早逝、受賞を逃したと聞いた。もうこの時点で、ノーベル賞なんぞその人の本当の実力や功績とは関係のないものとはっきりわかる。
先の文学賞についても、ドナルド・キーン氏が内幕の「噂」を書いておられ、日本に少しばかり滞在しただけの人間が三島氏について知ったかぶりをして批判した結果、三島氏は受賞を逃し川端氏が選ばれたという。そして川端氏は自殺、三島氏は筆を捨てて “ 行動の海 ” へ向かったのである。
以前にも書いたが、そもそも翻訳でしか読めないようなものを評価し、賞を贈ろうというほうが大間違いで、三島氏の件はあくまで「噂」に過ぎぬかもしれないが、誤情報などに流される程度の知識しかないのはありそうな話。そんなことなら文学賞などやめてしまえと思う。
<過去記事は「ノーベル賞と “ あきらめる ” 」へどうぞ>
ナントカ賞という《ブランド》は受取り手の横着に過ぎない。自分で探して読んだり見たり聴いたり味わったりする手間を省き、自分の頭脳と感性で勝負することを放棄した者が、とりあえず格好をつけるために利用するもの。
平和で時間がたっぷりある日本、この世のすべてを自分で判断するには事象が多すぎるのは確かだが、「世間で名高いから安心」という怠惰な心根で済ます気なら衣食住程度でとどめ、それ以上の「文化」など欲しがらなければよいと思う。
ふと『フランダースの犬』を思い出した。
主人公ネロには画才があって絵画展に出品するが、受賞したのは裕福な有力者の息子。世間という “ 牡蠣(かき)をこじ開けて中身を味わう ” せめてもの手段を絶たれたネロは愛犬とともに凍死する。その直後に審査員のひとりだった画家が訪ねてきて、ネロの才能を惜しむ。
こんな話、史上ザラにある。
そして物語としては「見る人は見ている」と解釈することもできるが、現実には、いかほどの才能があろうとネロは何も残さず死に(まだこれからの幼い絵だけでは残りようがない)、生前も死後も跡形すら見当たらない。本物の才能や作品の完成度とは関わりなく、運次第で埋もれていくものなのである。
思えば、どれほどの才能が《ブランド》頼みの世間に無視され、つぶされ、埋もれていったことだろう。その中には、ちらと見ただけで視点が変わるほどの絵画があったかもしれない。ふと聴いただけで救われるほどの音楽があったかもしれない。世界を激変させるほどの言葉があったかもしれない。
いつまでも、 “ 人間 ” は変わらない。
昨今、洋楽のクレジット(作詞や作曲者の名)が非常に多い。ひとりで曲を書いているケースはほとんどないが、これは今の音楽製作過程に由来するだけでなく、昔からけっこうそんなもんだったのではないかと思う。昔は権利意識がテキトーだったので、誰かひとりの名にまとめていただけだろう。
そういえば、ネロが憧れる画家ルーベンスなどは特にそうだが、「誰それの絵」と言ったところで、ひとりですべて描いたとは限らない。昔のたいていの画家は自分の工房を持ち、弟子と合作の形で描いている。おかげでダ・ヴィンチの師匠などは、あまりの才能の差に筆を折ったなどと噂されたりもする(笑)。
※ルーベンス『キリスト昇架』の一部 Wikipediaより借用
わたしが愛してやまないその線は、名も無き弟子が描いたものかもしれない。わたしを惹きつけるあの音は、名も無き《裏方》が奏でたものかもしれない。そう思えば、それをひとまとめにした上でさらに雑に評価した「賞(または名声)」なんて、無意味なことがよくわかる。
江戸川乱歩作品のオチは
横溝正史が書いた…とかね。

この頃、3年連続でノーベル賞候補に挙がっていた日本人文学者は4人。川端康成、三島由紀夫、谷崎潤一郎、西脇順三郎の諸氏で、うち谷崎氏は65年に亡くなっている。ノーベル賞受賞の条件には「生きていること」も入っているので、運悪く受賞前に亡くなれば、たとえその人が候補の中でもっとも相応しくとも、すべて白紙撤回である。
たとえば、ニュートリノ関連からはまだしばらく日本人の受賞が続くだろうと言われている。最先端の研究チーム内に大きな学術的成果が続くのは当然のことだが、以前にも書いたとおり、小柴教授に続くと目されていた研究者はガンで早逝、受賞を逃したと聞いた。もうこの時点で、ノーベル賞なんぞその人の本当の実力や功績とは関係のないものとはっきりわかる。
先の文学賞についても、ドナルド・キーン氏が内幕の「噂」を書いておられ、日本に少しばかり滞在しただけの人間が三島氏について知ったかぶりをして批判した結果、三島氏は受賞を逃し川端氏が選ばれたという。そして川端氏は自殺、三島氏は筆を捨てて “ 行動の海 ” へ向かったのである。
以前にも書いたが、そもそも翻訳でしか読めないようなものを評価し、賞を贈ろうというほうが大間違いで、三島氏の件はあくまで「噂」に過ぎぬかもしれないが、誤情報などに流される程度の知識しかないのはありそうな話。そんなことなら文学賞などやめてしまえと思う。
<過去記事は「ノーベル賞と “ あきらめる ” 」へどうぞ>
ナントカ賞という《ブランド》は受取り手の横着に過ぎない。自分で探して読んだり見たり聴いたり味わったりする手間を省き、自分の頭脳と感性で勝負することを放棄した者が、とりあえず格好をつけるために利用するもの。
平和で時間がたっぷりある日本、この世のすべてを自分で判断するには事象が多すぎるのは確かだが、「世間で名高いから安心」という怠惰な心根で済ます気なら衣食住程度でとどめ、それ以上の「文化」など欲しがらなければよいと思う。
ふと『フランダースの犬』を思い出した。
主人公ネロには画才があって絵画展に出品するが、受賞したのは裕福な有力者の息子。世間という “ 牡蠣(かき)をこじ開けて中身を味わう ” せめてもの手段を絶たれたネロは愛犬とともに凍死する。その直後に審査員のひとりだった画家が訪ねてきて、ネロの才能を惜しむ。
こんな話、史上ザラにある。
そして物語としては「見る人は見ている」と解釈することもできるが、現実には、いかほどの才能があろうとネロは何も残さず死に(まだこれからの幼い絵だけでは残りようがない)、生前も死後も跡形すら見当たらない。本物の才能や作品の完成度とは関わりなく、運次第で埋もれていくものなのである。
思えば、どれほどの才能が《ブランド》頼みの世間に無視され、つぶされ、埋もれていったことだろう。その中には、ちらと見ただけで視点が変わるほどの絵画があったかもしれない。ふと聴いただけで救われるほどの音楽があったかもしれない。世界を激変させるほどの言葉があったかもしれない。
いつまでも、 “ 人間 ” は変わらない。
昨今、洋楽のクレジット(作詞や作曲者の名)が非常に多い。ひとりで曲を書いているケースはほとんどないが、これは今の音楽製作過程に由来するだけでなく、昔からけっこうそんなもんだったのではないかと思う。昔は権利意識がテキトーだったので、誰かひとりの名にまとめていただけだろう。
そういえば、ネロが憧れる画家ルーベンスなどは特にそうだが、「誰それの絵」と言ったところで、ひとりですべて描いたとは限らない。昔のたいていの画家は自分の工房を持ち、弟子と合作の形で描いている。おかげでダ・ヴィンチの師匠などは、あまりの才能の差に筆を折ったなどと噂されたりもする(笑)。
※ルーベンス『キリスト昇架』の一部 Wikipediaより借用
わたしが愛してやまないその線は、名も無き弟子が描いたものかもしれない。わたしを惹きつけるあの音は、名も無き《裏方》が奏でたものかもしれない。そう思えば、それをひとまとめにした上でさらに雑に評価した「賞(または名声)」なんて、無意味なことがよくわかる。
江戸川乱歩作品のオチは
横溝正史が書いた…とかね。
