一番好きなファンタジー作家というと、タニス・リーになると思う。
イギリスの女流作家だが、どういうわけか東洋思想の影響を感じる。実際、彼女は『タマスターラー』というインドを舞台にした作品も書いている。西洋の合理と東洋の深遠のちょうどよいバランスのところに “ 彼女の世界 ” がある、という感じの作家である。
極東には「陰陽思想」というものがある。この「陰陽」を誤解している人が多い。さすが太陽信仰の国というべきか、死穢を非常に嫌う国だからか、「陰」は疎(うと)むべきことという気分が古くからの風習にもいくらか漂っているが、「陰気」「陽気」というのが人の気分を表す語に転用されてしまったため、昨今はますます「陰」はよくないと思っている人が増えたようだ。
陰陽はふたつで一体を成し、そのバランスこそが肝心であるという陰陽思想の基本を説明するのに、実は、タニス・リーのオムニバス小説『闇の公子』内の『シザエルとドリザエム』以上のテキストが見当たらない。もちろんわたしの浅学ゆえとはいえ、不思議なイギリス人ではある(笑)。
などと固く書き出してみたけれど、『闇の公子』シリーズは性愛を主軸にさまざまな愛と狂気を描いた大人向けファンタジー。この惹かれ合う引き裂かれた魂の物語も、すぐ他へ興味が移ってしまう《男》ドリザエムに働きかける《女》シザエルの苦労を含め(笑)、女性にお薦めのお話です。
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まだ《地球》が平らかだった頃。神々は天界で無機質な思考に閉じこもり、地底には筆舌に尽くしがたい驚異を備えた妖魔の王国があった。妖魔を統べるのは美しき《闇の公子》アズュラーン。気まぐれで残忍な彼は人間の男女を弄び、その運命をねじ曲げる。
結婚を目前に控えた女・ビスネはその美貌ゆえにアズュラーンの関心を引いてしまった。頑なに拒んで妖魔の王の不興を買った彼女は新婚初夜に恐ろしい意趣返しを受ける(ここまでは1つ前の話『美(うま)しき蜜』)。
一夜にして夫を失ったビスネだったが、その胎内には夫の子が宿っていた。しかし、ビスネの自分への呪いを知ったアズュラーンは胎児に宿るはずの魂を捕らえ、断ち割った。分割された魂の片方はそのままビスネの娘に宿り、片方は妖魔の手により遠方へ運ばれ、死産するはずだった男児に宿った。
ビスネの娘はシザエルと名づけられた。母に似た美貌だったが、誰も見もせず誰の言葉も聞きもせず、感情が膜の向こうにある自閉した存在だった。【シザエルの魂は女の部分、受け身と静止、あいまいと不確実からなる陰の部分のみであり、他の全ての魂が有している男性的な面を欠くが故の釣合の欠如が、この完全なる無気力状態を造り出したのであった】。
羊飼いの家に生まれた男児はドリザエムと名づけられた。力強く素早い肉体と鋭い本能、悪気はないが衝動的で何をするかわからない存在。【少年のそれは断ち割られた魂の男性の半分、活動と変化と、激しさと揺るぎなさからなる陽の部分であり、他のあらゆる魂が有している女性的な面を欠くが故の釣合の欠如が、この和らぎを知らぬ力のほとばしりを造り出したのであった】。
ドリザエムは衝動のおもむくまま人食いの龍退治に名乗りを上げる。【弱冠十五歳であったが並はずれた腕力を持ち、しかもその腕力は恐怖と技巧が二つながら欠如しているために超自然の域にまで高められていた】彼は龍を殺して英雄となった。宝物の意味はわからない彼も “ よく仕込まれた ” 美女たちには喜び、王の戦士となって、豊富な食卓と尽きせぬ “ 肉の歓び ” と戦うこと自体に満足していた。
しかし、ある日。
旅の吟遊詩人が遠国の不思議な娘の歌を歌った。詩人は知らずに真実を言い当て、娘を「半魂の女(ひと)」と呼んだ。三人の美女と戯けていたドリザエムはその歌を聴くなり滝のような涙を流して寝所を飛び出し、詩人の竪琴の弦を引きちぎって行方知れずになった。
シザエルは弦を張り直した竪琴を携えた吟遊詩人と行き会い、ドリザエムの髪がからまったまま取れない弦の音を聴いたとたん、歓喜の笑い声を上げながら竪琴を取り上げる。竪琴を枕辺に夢で少年の人生を生き、王のもとを去ったのち【時折り、耐え難く慰め難く、理解を越える喪失感に満たされ、吠え猛り、呻き、泣いた】。そして翌朝、シザエルは家を出てドリザエムへ向かい歩き出した。
行き倒れ、閨(ねや)奴隷として売られかけたりしたものの、詩人の詩を通して彼女を知る人々に助けられ、シザエルはやっとドリザエムが彷徨う平原へとたどり着いた。
ところがふたりの動きを見越したアズュラーンが先に手を打ち、ドリザエムを快楽の虜にしてしまっていた。妖魔が夜ごと紡ぎ出す宮殿で美食を楽しみ、シザエルに似せた妖魔女との激しい交わりに酔い痴れ、昼間は魔法の眠りに落ちるドリザエムに対し、夜は妖魔に追い払われ、昼間しか彼に近寄れないシザエル。なんとか自分が来ていることを彼に知らせようと、眠る彼のもとに1日目は帯、2日目は髪を置くが、すべて妖魔に排除され…
さて、ふたりはどうなるのでしょう。
もはやこの本は中古市場で探すしかないらしいので、気になる!知りたい!という方はメッセージでお尋ねください。個別にお返事いたします。
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陰陽の感じもおわかりいただけただろうか。両方を上手く備えるために、季節や日柄によって足りないほうを補うのが陰陽から起こった行事の本質なのである。まして「マイナス側に女性が入っている」と言って怒る方はお門違いというものだ。学んでください。
わたしは、衰弱し傷だらけになってたどり着きながらも、横たわるドリザエムを見るや【たちどころにシザエルは心安まり、慰められた】という描写がとても好きである。半魂のため怒りも恨みも感じたことがないゆえではあろうが、彼を愛するという反応しかないシザエルこそ、やはり陰=女性原理というものではないだろうか。
※【】内はハヤカワ文庫『闇の公子』より浅羽莢子氏訳の引用です。
魂の片割れ…信じますか?

イギリスの女流作家だが、どういうわけか東洋思想の影響を感じる。実際、彼女は『タマスターラー』というインドを舞台にした作品も書いている。西洋の合理と東洋の深遠のちょうどよいバランスのところに “ 彼女の世界 ” がある、という感じの作家である。
極東には「陰陽思想」というものがある。この「陰陽」を誤解している人が多い。さすが太陽信仰の国というべきか、死穢を非常に嫌う国だからか、「陰」は疎(うと)むべきことという気分が古くからの風習にもいくらか漂っているが、「陰気」「陽気」というのが人の気分を表す語に転用されてしまったため、昨今はますます「陰」はよくないと思っている人が増えたようだ。
陰陽はふたつで一体を成し、そのバランスこそが肝心であるという陰陽思想の基本を説明するのに、実は、タニス・リーのオムニバス小説『闇の公子』内の『シザエルとドリザエム』以上のテキストが見当たらない。もちろんわたしの浅学ゆえとはいえ、不思議なイギリス人ではある(笑)。
などと固く書き出してみたけれど、『闇の公子』シリーズは性愛を主軸にさまざまな愛と狂気を描いた大人向けファンタジー。この惹かれ合う引き裂かれた魂の物語も、すぐ他へ興味が移ってしまう《男》ドリザエムに働きかける《女》シザエルの苦労を含め(笑)、女性にお薦めのお話です。
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まだ《地球》が平らかだった頃。神々は天界で無機質な思考に閉じこもり、地底には筆舌に尽くしがたい驚異を備えた妖魔の王国があった。妖魔を統べるのは美しき《闇の公子》アズュラーン。気まぐれで残忍な彼は人間の男女を弄び、その運命をねじ曲げる。
結婚を目前に控えた女・ビスネはその美貌ゆえにアズュラーンの関心を引いてしまった。頑なに拒んで妖魔の王の不興を買った彼女は新婚初夜に恐ろしい意趣返しを受ける(ここまでは1つ前の話『美(うま)しき蜜』)。
一夜にして夫を失ったビスネだったが、その胎内には夫の子が宿っていた。しかし、ビスネの自分への呪いを知ったアズュラーンは胎児に宿るはずの魂を捕らえ、断ち割った。分割された魂の片方はそのままビスネの娘に宿り、片方は妖魔の手により遠方へ運ばれ、死産するはずだった男児に宿った。
ビスネの娘はシザエルと名づけられた。母に似た美貌だったが、誰も見もせず誰の言葉も聞きもせず、感情が膜の向こうにある自閉した存在だった。【シザエルの魂は女の部分、受け身と静止、あいまいと不確実からなる陰の部分のみであり、他の全ての魂が有している男性的な面を欠くが故の釣合の欠如が、この完全なる無気力状態を造り出したのであった】。
羊飼いの家に生まれた男児はドリザエムと名づけられた。力強く素早い肉体と鋭い本能、悪気はないが衝動的で何をするかわからない存在。【少年のそれは断ち割られた魂の男性の半分、活動と変化と、激しさと揺るぎなさからなる陽の部分であり、他のあらゆる魂が有している女性的な面を欠くが故の釣合の欠如が、この和らぎを知らぬ力のほとばしりを造り出したのであった】。
ドリザエムは衝動のおもむくまま人食いの龍退治に名乗りを上げる。【弱冠十五歳であったが並はずれた腕力を持ち、しかもその腕力は恐怖と技巧が二つながら欠如しているために超自然の域にまで高められていた】彼は龍を殺して英雄となった。宝物の意味はわからない彼も “ よく仕込まれた ” 美女たちには喜び、王の戦士となって、豊富な食卓と尽きせぬ “ 肉の歓び ” と戦うこと自体に満足していた。
しかし、ある日。
旅の吟遊詩人が遠国の不思議な娘の歌を歌った。詩人は知らずに真実を言い当て、娘を「半魂の女(ひと)」と呼んだ。三人の美女と戯けていたドリザエムはその歌を聴くなり滝のような涙を流して寝所を飛び出し、詩人の竪琴の弦を引きちぎって行方知れずになった。
シザエルは弦を張り直した竪琴を携えた吟遊詩人と行き会い、ドリザエムの髪がからまったまま取れない弦の音を聴いたとたん、歓喜の笑い声を上げながら竪琴を取り上げる。竪琴を枕辺に夢で少年の人生を生き、王のもとを去ったのち【時折り、耐え難く慰め難く、理解を越える喪失感に満たされ、吠え猛り、呻き、泣いた】。そして翌朝、シザエルは家を出てドリザエムへ向かい歩き出した。
行き倒れ、閨(ねや)奴隷として売られかけたりしたものの、詩人の詩を通して彼女を知る人々に助けられ、シザエルはやっとドリザエムが彷徨う平原へとたどり着いた。
ところがふたりの動きを見越したアズュラーンが先に手を打ち、ドリザエムを快楽の虜にしてしまっていた。妖魔が夜ごと紡ぎ出す宮殿で美食を楽しみ、シザエルに似せた妖魔女との激しい交わりに酔い痴れ、昼間は魔法の眠りに落ちるドリザエムに対し、夜は妖魔に追い払われ、昼間しか彼に近寄れないシザエル。なんとか自分が来ていることを彼に知らせようと、眠る彼のもとに1日目は帯、2日目は髪を置くが、すべて妖魔に排除され…
さて、ふたりはどうなるのでしょう。
もはやこの本は中古市場で探すしかないらしいので、気になる!知りたい!という方はメッセージでお尋ねください。個別にお返事いたします。
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陰陽の感じもおわかりいただけただろうか。両方を上手く備えるために、季節や日柄によって足りないほうを補うのが陰陽から起こった行事の本質なのである。まして「マイナス側に女性が入っている」と言って怒る方はお門違いというものだ。学んでください。
わたしは、衰弱し傷だらけになってたどり着きながらも、横たわるドリザエムを見るや【たちどころにシザエルは心安まり、慰められた】という描写がとても好きである。半魂のため怒りも恨みも感じたことがないゆえではあろうが、彼を愛するという反応しかないシザエルこそ、やはり陰=女性原理というものではないだろうか。
※【】内はハヤカワ文庫『闇の公子』より浅羽莢子氏訳の引用です。
魂の片割れ…信じますか?
