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ネタ記事の「ノーベル賞」で卒然と思い出した。
小柴教授の研究チームには「次のノーベル賞は確実」と言われていた方がいたのだが、ガンで亡くなってしまったのだそうだ。

数年前に観たそのドキュメンタリーを思い出しながら受賞された博士のお顔を拝見するうち、この方の名は科学史に刻まれたけれど、亡くなった方の名は(一般には)忘れ去られるのだな…と思うと、なんともいえない気分になった。

文学の世界にもそうしたことはある。
現在はネットの発達で事情が変わったかもしれないし、文壇などというものも地滑りしてしまってるようなので知らないが、昔はやはり上京して、文壇に所属する人々と交際しないと「名のある作家」にはなれなかったらしい。

ナントカ賞をもらうのと作品の評価は、本質的には乖離している。

わたしが好きな男性作家はどうも不運な人が多くて、一番マシな宮城谷昌光氏も確か「売れて脂がのってきた」って頃にお倒れになったはず。遅いデビューはやはり体力的に厳しいのだろうか。

時代小説家の滝口康彦氏。
海老蔵さん主演の映画『一命』の原作『異聞浪人記』や、ドラマ『上意討ち』の原作『拝領妻始末』があるため、いくぶんかは知られているが、有名作家とは言い難い。実は滝口氏もお倒れになり、長年月を床に伏して過ごされた。もともと故郷の佐賀から頑として動かなかった方なので、中央にコネがない。有名作家でないのはそれだけの理由だ。

第二次大戦後、てのひらを返した世間が許せず、世間の理不尽さに恨みを抱きつつ、潔く砕け散ることで対抗するかのような、美しい意地立てを多くお書きになった。張りつめた文章もまた清冽な味わいを深めている。

そしてもうひとかた、野呂邦暢氏。
第70回(1973年上半期)芥川賞受賞作家。実はこれを書くのに検索かけて初めて『落城記』がドラマ化されているのを知ったが(笑)、どのみち書店にインデックスがあるような作家ではない。42歳で急死されたからである。

旅行先の書店でたまたま買った『落城記』。あまりに面白くて、観光なんかしなかった(笑)。
殊にヒロイン梨緒が水中で意識を失いかけながら、異母兄七郎への道ならぬ恋心を吐露していくところ、ひらがなの巧みな使用に驚き、意識が混濁するにつれ文節がなくなりひらがなの羅列になってゆく、それでいて梨緒の秘めに秘めた想いがあふれる、めくるめくような文章に酔った記憶がある。

好きな作家とは言い条、実は『落城記』と『諫早菖蒲日記』しか読んでいないのだが、忘れがたい作家であれば量は関係ないだろう。ということにしとく(笑)。

その『諫早菖蒲日記』、幕末の少女が主人公である。諫早藩砲術指南役である藤原作平太の娘志津、父が役目柄耳が遠くなり、志津の声が一番聞き取りやすいといって「通訳」にしたため、女子ながらさまざまな話柄に触れていくことになる。

しかし、その世間の聞こえかたは静かでおだやかだ。作者がすでに知っている歴史を通して俯瞰することなく、その時代を生きた人の目や耳に入った(だろう)ことのみで構築された世界がすばらしかった。淡々とした描写の凄みを知った作品だった。

そして思った。生きていくのに、地球の裏側の情報が瞬時に届くことは必要なのだろうか、と。
身近で起きることをひとつひとつ、丹念に生きることは美しい。結局はあこがれただけで、日々をバタバタと生きてはいるが、過剰な情報とその中ですり減っていく感受性のことは、ずっと気にかかっている。


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