本日、8月15日。
魂祭りの日ですね。

お盆の成り立ちについては去年書きましたが、ざっとなぞると、中国で独自に書かれた『盂蘭盆経』が基となり、中国の土着宗教「道教」や日本固有の魂祭りと溶け合って、今のようなお盆行事になった…と考えられています。
<くわしくは「お盆 新暦と旧暦と月遅れ」へどうぞ>

この『盂蘭盆経』は「目連(もくれん)」というお釈迦さまの弟子とその母親の物語。
とはいえ、お釈迦さまが実際に生きていたのは紀元前600~400年あたりとされていて、このお経は西晋(せいしん)時代成立というから紀元後400年あたり、千年近くへだたったものなので、創作と思ったほうがいいかもしれませんね。

面白いことに、この目連尊者の物語をほとんどそのまま「盆踊りのはじまり」として語っている昔話が下北半島にあります。

尊者(そんじゃ)とはお釈迦さまの弟子などを指す尊称なのですが、これを親子それぞれの名だと思って伝承されているあたり民話らしくて面白い。そして「寺やお坊さんにお布施しろ、そしたらトクするぞ」というラストじゃないところが好きです。

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むかし、目連というひとり息子と尊者という母親の親子がいた。尊者は自分の息子ばかりが可愛く、自分でなければ息子を可愛がったり心配する者などいないという態度の人だった。何人かのこどもが遊んでいても目連にだけにものを与え、よその子には何ひとつあげないような人でもあった。

尊者は何を置いても目連に食べさせて、自分はやせ細り、やがて死んでしまった。目連は自分のためにやせ細って死んだような母だから、日本中でも一番ぐらいの位の高い仏になって極楽にいるだろうと思っていた。

ある夜、目連は夢の中であの世へ行った。母を探したものの、いくら探しても極楽には尊者はいなかった。そこで地獄の扉を開いてもらうと、地獄の釜の中で尊者は血を流していた。

驚いた目連がどうしたことかと訊くと「お前ばかりを可愛がって、お前以外は人間ではないような扱いをして、よその子には何ひとつ分けてやらず、食べたい、欲しいとせつない思いをさせた。その罪だ」と言う。それではどうしたら母を成仏させてやれるか尋ねると「他人にせつない思いをさせたぶんの施しをせねばならない」という答えだった。

そこではっと目が覚めた目連は、それ以降、自分が何かひとつでも物を持てば半分を隣近所に分けたり、よその子に一口でも何かしら買ってあげたりして施しにつとめた。そうして暮らすうちに、目連は二度目のあの世の夢をみた。

目連の償いによって尊者は地獄の釜の縁に上がることができた。すると周囲の亡者も続いて釜の縁に上がり、極楽に上がれる祝いに手を叩き、縁をめぐって踊り歩いた。これが盆踊りのはじまりで、それだから盆踊りというものは、お寺の広場で踊るものなのだそうな。
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釜の縁は熱くないのだろうか(笑)。
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注意当ブログの「昔話」は渓美居堂くまらによる「再話」となります。原話を大きく変更してはいませんが、表現などが異なる場合があります。また、再話として書かれた物語は渓美居堂の管理下のものと認識しておりますのでご留意ください。


追記: 歴史的な盆踊りの由来を知りたい方は「民俗トピック 盆踊り」へどうぞ