9日-1
本日、6月9日。
どうも気になる日本語が多いので、それだけを取って実用的な書きかたをしてみることにしました。
近頃、ヤムヲ(オ)エナイを「やむおえない」と書く方がけっこう多いようです。「手に負えない」などのオエナイを連想しておられるのでしょうか。
しかし、ヤムヲエナイは「やむ」を「えない」と切り分けます。やむは「止む」または「已む」と書き、ものごとをやめること、実行しないことの意です。えないは「得ない」で、することができないという意味です。
そして「を」は動作などの対象を指す助詞、いわゆる「てにをは」です。要するに「花を咲かせる」「子を叱る」などの「を」と同じですから、「お」と書いちゃうと間違いです。
つまり「やむを得ない」とは「やめること」や「しないでおくこと」が「できない」状態なので、「どうにも仕方ない、しなくちゃならない」という意味になるわけです。良いわけないよね~、進んでしてるわけじゃないよ~という気持ちを含んだ表現になります。
似たような言葉に「…ザルヲエナイ」があります。
これも「…ざる」を「得ない」と切り分け、前の言葉どおりにすることができないという形の言葉です。
「…ざる」は打ち消しの意味の古語の生き残りで、1番有名なのは日光東照宮の「三猿」=「見ざる、言わざる、聞かざる」でしょう。「する」なら「せざる」、「思う」なら「思わざる」…といった感じになります。
ふたつを連結すると、見るとか聞くといった何かを「しない」ことが「できない」ですから、しないわけにはいかない、するより他にないといった意味になります。
似た感じの言葉ですが、「良くないかもしれないけど、やるしかない」的に強く言う場合には、どちらかというと「…ざるを得ない」が使われることが多いようです。
Three wise monkeys かぁ…

本日、6月9日。
どうも気になる日本語が多いので、それだけを取って実用的な書きかたをしてみることにしました。
近頃、ヤムヲ(オ)エナイを「やむおえない」と書く方がけっこう多いようです。「手に負えない」などのオエナイを連想しておられるのでしょうか。
しかし、ヤムヲエナイは「やむ」を「えない」と切り分けます。やむは「止む」または「已む」と書き、ものごとをやめること、実行しないことの意です。えないは「得ない」で、することができないという意味です。
そして「を」は動作などの対象を指す助詞、いわゆる「てにをは」です。要するに「花を咲かせる」「子を叱る」などの「を」と同じですから、「お」と書いちゃうと間違いです。
つまり「やむを得ない」とは「やめること」や「しないでおくこと」が「できない」状態なので、「どうにも仕方ない、しなくちゃならない」という意味になるわけです。良いわけないよね~、進んでしてるわけじゃないよ~という気持ちを含んだ表現になります。
似たような言葉に「…ザルヲエナイ」があります。
これも「…ざる」を「得ない」と切り分け、前の言葉どおりにすることができないという形の言葉です。
「…ざる」は打ち消しの意味の古語の生き残りで、1番有名なのは日光東照宮の「三猿」=「見ざる、言わざる、聞かざる」でしょう。「する」なら「せざる」、「思う」なら「思わざる」…といった感じになります。
ふたつを連結すると、見るとか聞くといった何かを「しない」ことが「できない」ですから、しないわけにはいかない、するより他にないといった意味になります。
似た感じの言葉ですが、「良くないかもしれないけど、やるしかない」的に強く言う場合には、どちらかというと「…ざるを得ない」が使われることが多いようです。
Three wise monkeys かぁ…
