13日-1

本日、4月13日。
食欲が出てきたものの、まだどうも挙動不審なルー。絶食の影響でお腹もまだ不安定ですが、それでも放っておけばしっかりご飯は消えてるので、ともあれ一段落です。

ってわけで、棚上げしていた『The Imitation Game』の感想文、なのですが。
要するに冷静な感想はもう書いちゃったんですよ。残ったすごくパーソナルで感情的なものを書きたかったのに、みょーに間が空いたもので上手くいかなくなっちゃって。
<冷静なレビューは過去記事こちらへ>

膨大にふくらます予定だった、先週の下書き数センテンスをそのまま載せようかと思います。
ただ、あの映画はとても精妙なサスペンスなので、些細なことがネタバレ級の事故になりかねません。観てみたい方はご遠慮いただいたほうがいいかもです。



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冗談も言わない傲岸な男、変わり者ぶった身勝手な人間と見られてしまう「緑の豆と赤いにんじんが皿で混じり合ってはならない」アランは明らかにアスペルガー

アスペルガー症候群はまだ議論を残しているので、病名?として採用できないのであれば、独自に「一角獣族」と言い換えておきます(いずれ詳細を書きますが、この名称は萩尾望都氏の作品によります)。

わたしはアランの何が悪いのかよくわかりません。彼は正確なことを言ってるし、効率的なぶん偏見もないし。だいたい、片方では「こうして会話しているあいだにも兵が死ぬ」と言いながら、同じく問題解決のためにだけ存在するはずの人間の “感情” なんかに配慮しなくてはならない理由がわかりません。

誰もが効率を上げるために冷静・冷徹になるべきだし、そうすることがこの場合、真実のやさしさだと思います。多くの人命がかかっているのだから。暗号解読で論理型のおつむの人ばかりだろうに、なぜ誰も理で割り切れないのだろう。

アランをフォローする人も、どこかにノーマルではない事情を抱えてる。経験上、そういう人しかノーマルでない人を理解したりしないと思います。ノーマルでしあわせな人は、それを揺るがす者としてアランのようなタイプを排斥します。

わたしが不思議だったのが、映画館の中でいくつもすすり泣きを聞いたこと。
辛辣に言いますが、こうしてその人の側から描かれれば、たいていの人が涙を流す。けれども映画館を出て、アランのような人に接したらいじめ倒すでしょ、どうせ。

映画の出来がよくて泣いてるのはわかります。でも、何を泣いているんですか?という冷たい問いが胸に浮かんだのも事実です。

この世にフィットできないこどもにとって、貴重な理解とぬくもりは生涯抱いて離さないほどのもの。ただ、できることなら、アランの場合、「次」にシフトできればよかったと思います。

「一角獣族」として、孤独なこどもとして、もうひとつ、わたしが絶対にフォローしたい「性」を持つ人として、アランはわたしにとって幾重にもエモーショナルな存在だったのです。またとない理解者と一緒に、しあわせになって欲しかった。しあわせに向かって欲しかった。

彼が救った大勢の人間が、彼を地獄に落とす。ノーマルでなければ嫌な人たちに言ってあげる、アランは「キリスト」みたいだねって!




しょせん、この世は濁世。
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