本日、1月30日。
ブログネタ記事は途中で切れないので長くなっちゃいますね。まあ、2年目に突入して初めて、ちょっと見せかたを工夫してみたりしてますので(うかつなヤツめ!笑)、読みやすいといいのですが。

さて、本日の通常記事です。

綱吉VS赤穂浪士の記事の片隅に「それでも切腹だからいいじゃない」と書き込みました。
なぜ、切腹ならいいのか。近頃は歴史ブームでご存知の方も多いでしょうが、世界に名高い「ハラキリ」について書いてみたいと思います。

まず、なぜ「切腹ならいい」のか。
武士は基本的に殺し合いの勝負をする人たちなので、時によっては死ななくてはならない状況に至ります。切腹は、こうした時の武士の伝統的な「自害(自分の意志で自分の命を絶つ)」の形を踏襲しているのです。

負けて部下を多数死なせてしまった以上は、自分も命であがなおうと考えたり、下っ端の武士の手にかかるとか、はずかしめに遭ったりするくらいなら…と、サックリ自分で死ぬ。それが「自害」「自決」と呼ばれるものです。

つまり、のちに刑罰としておこなわれるようになっても、形の上では、自分の意志で、自分の責任を取る死にかたになっているので、ただ罪人として命を奪われるのとは違う、という感覚があったのです。


では、なぜお腹を切るようになったのか。
古代、お腹には魂が宿るという考えがあったため、とされています。そういえば、古代中国の伝説にも「まごころを調べるために腹を裂く」という残虐行為がありました。聖なる人の内臓にはしるしがあると考えられていたようです。

しかし、わたしはそれだけではなかったような気がしています。  つづく。



帝辛は好きなんだけどなぁ。
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