続きです。
当時の(今もかな:笑)教会はお金持ち。影響力と財力をおいそれと渡す権力者はいません。有力な支配者=神聖ローマ帝国皇帝のハインリヒ4世は反発します。彼は聖職者に圧迫された過去を持ち、王権を伸ばすことに精力を傾けていましたから、こりゃもう互いに天敵(笑)。
事態はもつれて、ハインリヒ4世は教皇から破門されます。「破門」とは、信者として不適切といった感じで、その宗教から追放される刑罰です。まあ、権力者が清く正しくなんてはずはないのですが、公式に正しくないとやられると世論が湧き、政敵につけこまれるのは確か。
この時も自国での立場が悪くなって追いつめられ、謝罪の使いを送ったものの拒否されたハインリヒ4世は、自分自身で教皇の許しを求めることにしました。
北イタリアのカノッサ城に教皇が滞在していることを知るやそこへ出向き、警戒して城から出ない教皇に対し、武装解除に加えて修道士の粗衣に着替えて城前に立ち、許しを乞うたのです。
世俗では並ぶものなき権力者が、城門前に立って許しを乞わねばならなかった。これを「カノッサの屈辱」と呼びます。
さらに「裸足で断食をおこない、雪の中で3日間立ちつくした」と伝わりますが、Wikipediaによれば、これは伝説の類で正式な記録はないそうです。
教皇の権威を見せつけたような事件ですが、昨日も書いたとおり、教皇の許しを得た皇帝は自国に戻って王権を確立するや、ふたたび教皇と対立。自国の心配がない今回は遠慮なく軍を用い、教皇を逃亡させました。グレゴリオ7世は逃亡先で無念の死を迎えます。
ふたりの争いは、双方の死後、1122年に「叙任権は教皇にある」という条約が結ばれたことで決着しました。
お疲れさまでした。

当時の(今もかな:笑)教会はお金持ち。影響力と財力をおいそれと渡す権力者はいません。有力な支配者=神聖ローマ帝国皇帝のハインリヒ4世は反発します。彼は聖職者に圧迫された過去を持ち、王権を伸ばすことに精力を傾けていましたから、こりゃもう互いに天敵(笑)。
事態はもつれて、ハインリヒ4世は教皇から破門されます。「破門」とは、信者として不適切といった感じで、その宗教から追放される刑罰です。まあ、権力者が清く正しくなんてはずはないのですが、公式に正しくないとやられると世論が湧き、政敵につけこまれるのは確か。
この時も自国での立場が悪くなって追いつめられ、謝罪の使いを送ったものの拒否されたハインリヒ4世は、自分自身で教皇の許しを求めることにしました。
北イタリアのカノッサ城に教皇が滞在していることを知るやそこへ出向き、警戒して城から出ない教皇に対し、武装解除に加えて修道士の粗衣に着替えて城前に立ち、許しを乞うたのです。
世俗では並ぶものなき権力者が、城門前に立って許しを乞わねばならなかった。これを「カノッサの屈辱」と呼びます。
さらに「裸足で断食をおこない、雪の中で3日間立ちつくした」と伝わりますが、Wikipediaによれば、これは伝説の類で正式な記録はないそうです。
教皇の権威を見せつけたような事件ですが、昨日も書いたとおり、教皇の許しを得た皇帝は自国に戻って王権を確立するや、ふたたび教皇と対立。自国の心配がない今回は遠慮なく軍を用い、教皇を逃亡させました。グレゴリオ7世は逃亡先で無念の死を迎えます。
ふたりの争いは、双方の死後、1122年に「叙任権は教皇にある」という条約が結ばれたことで決着しました。
お疲れさまでした。
