時事問題にはなるべく触れない主義なのですが。
シャルリ・エブドの再出発がムハンマドの風刺画だと聞いて、眉をひそめるばかりです。

具体的に殴られたのはフランス人、あるいは西洋諸国でしょうから、カヤの外の日本人のひとりが「殴り返すのがいいのかな?」と思ったという話は置きましょう。

ただ、これでは一部のテロ組織の人間に対する「報復」ではなく、イスラム教徒全体に対する「報復」になってしまっていると思います。

「テロは許せないが、気持ちが傷ついた」「これではテロ組織の主張のほうが正しかったと思う人間が出る」というイスラム教徒の方々の言いぶんはもっともかと思います。


そもそも、ムハンマドの肖像を描くことがすでに冒涜(ぼうとく)であることを、フランス人は理解してるのでしょうか。

というか、きちんと原典にまでさかのぼれば、仏教もキリスト教も同じく偶像崇拝を禁じていて、初期の礼拝所や寺院には画像がありません。民衆に教えをひろめるための絵物語などでも、神仏はシンボルマークのようなもので表現されています。

宗教がひろまるにつれて厳密さが欠けて、仏画や宗教画は普通のものになります。というより、妥協するからひろまることができるんだ、とわたしは思ってますが。

ともあれ、ユルユルになったキリスト教に比して、イスラムの偶像崇拝禁止は徹底していて、礼拝所では現在でも宗教的なデザインや文字しか見ることがありません。

だいぶ前にイスラム教の記念で作られたムハンマドの生涯を描く映画を観ましたが、ほとんどはムハンマドの視点がカメラ視点になっていて、本人(を演じる役者)は映りませんでした。それほど徹底したものなのです。

テロ行為は最低最悪ですが、他人が大切にしてるもの、笑いごとでは済まないもの、それを無神経に扱っておいて「自由」で済ますのもいかがなものか。

正直、事件直後には日本の首相もデモに参加すればいいのに、と思いましたが、一気にそんな気持ちはなくなりました。

カヤの外の人間にまでそんな思いを抱かせただけでも、決してよいやりかたではないと思うのですが。。。。



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