本日、8月24日。
昨日から始まった「処暑」の七十二候の話です。

処暑の初候は「綿柎開(わたの はなしべ ひらく)」。
綿花の萼(がく)が開き、白い綿毛が見えるようになって収穫期に入る、という意味です。

日本や中国の暦からは話が逸れますが、綿摘みといえばアメリカの奴隷制度を思い出します。
南部のプランテーションと呼ばれる大規模農場は、奴隷の労働力で成り立っていました。栽培されたものの中でも特に綿花は名産品なので、奴隷労働と結びつけて語られることが多いのです。

奴隷労働というと南北戦争(1861~65年)のイメージが強くて、ずいぶん昔の話のような気がします。しかし、北軍の勝利は工業地帯向きに安い労働力を奪い取ったに過ぎず、奴隷解放ののちも劣悪な労働条件で綿摘みは続いたようです。

そういえば、とある黒人歌手(名前失念)が「若い頃は綿摘みでこき使われたから、綿花を見るのも嫌」と言ってるとも聞きました。現代の、けっこう最近の話です。

話を戻して。
暦の本家・中国での初候は「鷹乃祭鳥(たか すなわち とりをまつる)」。
これは春の「雨水」の初候、「カワウソが魚を並べ祭って食べる」というのと対を成しているのではないかと思います。祭るというのは比喩で、獲物を並べて食べるようすがお供えをしているように見える、ということです。

あやふやな記憶ながら、カワウソは本当に岸辺に魚を置くと聞いた気がします。並べはしないでしょうけど(笑)。鷹に至ってはますます並べはしないと思いますが、木の枝などで獲物を置いて食べている感じが天空に供えているように見えたのでしょうか。

ちょうど立春の次・立秋の次の初候なので、人間の側が季節の変わり目の慣習やお祭りごとに追われている頃で、何を見ても神さま拝みに見える時期だったのかもしれませんね。

28日から始まる次候は「天地始粛(てんち はじめて しゅくす)」。
粛は「つつしむ」「おとろえる」の意がありますので、暑さが弱まるの意でしょう。

昨日、秋は涼しいものなのかと考えてみましたが、処暑=暑さが過ぎる頃のふたつめの季節に入って、ようやく初めて暑さが弱まるとされているところからも、秋は必ずしも涼しくない季節だったと考えられますよね。

9月2日から始まる末候は「禾乃登(か すなわち みのる)」。
禾はノギとも読み、イネ科の植物の実の殻についている鋭い毛のことを言います。この場合は穀物(おそらくマメ科を除いて)を指し、つまりイネやアワ・ヒエといったイネ科の植物が実りの時期を迎えるという意味です。

綿花といい、穀物といい、実りの言葉が季節を飾る頃。
わたしのような都市生活者にはまだまだぴんとこないところですが、早く美味しい収穫物をいただきたいな…と思ってハタと気づきました。

わたしには、食欲に注意!を始める季節かも(笑)。



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