本日、8月12日。
お日柄とは全然関係ないんですが、昨日「蒙」という文字を連発してたら『三国志』の「呂蒙(りょもう)」を思い出しまして。
呂蒙は江南の地にあった「呉」の国の武将です。
若い頃は武功を上げるだけの猪武者、しかし主君である孫権(そんけん)に「せめて過去のことを知れ」と学問をするよう諭されます。まあ、近代に至るまでは先人の経験がすべての知恵の源だったので、歴史や故事を知らないようでは有効な会話もできませんでしたから・・・
たとえば作戦会議で「牧野(ぼくや)の戦いではこうだった」と言われても、それが殷と周の決戦であり、どんな戦いだったかがわからないと話についていけず、結局は誰かにただ使われて戦場働きをするだけの存在になってしまいます。それでは惜しいと孫権に思わせるものが呂蒙にはあったのでしょうね。
呂蒙は孫権が望んだ以上の学識を積み、呉の軍師をも務めた知性派・魯粛(ろしゅく)を驚かせ「呉下の阿蒙(あもう)に非ず」という有名な言葉を発させます。「阿」とはこどもを呼ぶ時の接頭語で、当然おとなに使えば侮辱の言葉。教養がなく語るに足りなかった存在とは違う、変わったな、という感嘆の言葉です。
呂蒙の立派なところは、もちろんその努力もですが、なにより素直に助言を聞き入れたところではないでしょうか。一定の年齢に達してしまえば、それなりの自負心などもできて、自分の欠点など聞きたくないものです。やっぱり、歴史に名を残す人は違うなって思います。
さて、「呉下の阿蒙」なる故事成句に戻って。
蒙が昨日書いたとおり「よく認識できない」の意から「愚か」の意を含むため、阿蒙という呼びかたの「お馬鹿」感がより強くなっています。この「蒙」は本名ですので、あまりかんばしくない文字が使われているのを不思議に思われるかもしれません。
これは確認していないので私見ですが、おそらく世界各国にある「あまりよい名前をつけると魔や不運に目を付けられる」的な考えからきたものではないかと思います。日本でも古代にはひどい名前が多く、奈良期には「屎女(くそめ)」なんてのもあります(笑)。
昔の中国や日本では、本名の他に「字(あざな)」というものがありました。やはり名前に霊力を感じる考えから、本名をやたら知らせるものではないとし、普段の生活に支障がないよう呼び名を別に定めたのです。本名を呼べるのは親や主君といった目上の人間だけでした。
そのため皇帝の本名と重なる言葉が言い換えられたりしたんですね。目下の者が本名を呼ぶとは、とんでもないことだったのです。<言い換えの例はこちら
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アザナをアダナと混同したのか、アニメやゲームでは時々これが逆になり、あらたまったつもりで他人に本名を呼ばせたりしていますが、これは実際にはとても失礼なことでした。
で、確か宮城谷昌光氏の著作で読んだと思うのですが(記憶曖昧…笑)、このアザナと本名でバランスが取られていたといいます。
たとえば呂蒙のアザナは「子明(しめい)」。子はこどもではなく男性の美称です。すっきりした切れ味の名前で、これだけだとやはり強すぎる印象かな、と。本名のへりくだった感じと確かにいいバランスだと思います。
アザナと本名はこうした反作用だけではなく、本名にちなんだアザナになっているものもあります。また、アザナに使われる文字でその人の境遇がわかったりします。
明日は、主に『三国志』の登場人物の名前を引いて、そのあたりを書いてみたいと思います。