本日、6月30日。
夏越しの祓(なごしのはらえ)」です。

夏越しの祓は「大祓(おおはらえ)」のひとつ。祓とはいわゆる「おはらい」、身を清め神に祈って災厄を除こうとする行事です。もともと下二段活用のハラフの活用形なので「ハラへ(エ)」が正しいはずなのですが、いつからか「ハラヒ(イ)」と発音されることが多くなりました。

大祓は「大」がつくように、なかでも大切なハラエです。現在では、大祓は12月大晦日の「年越しの祓」と6月晦日の「夏越しの祓」のふたつとなっています。ちなみに、「晦日(みそか、つごもり)」とは月の末日をいい、1年最後のものなので12月末日だけは大晦日と「大」をつけて呼ばれます。
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おそらく七世紀後半に始まったものと考えられていますが、大宝元(西暦701)年から法律によって宮中行事として制度化され、当時は皇宮の外正門にあたる朱雀門前に百官が集まっておこなわれました。時代は「乙巳の変」から約50年。中国では唯一の女帝・武則天が亡くなり、欧州ではイスラム帝国ウマイヤ朝と東ローマ帝国が戦っている頃です。
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古代には夏越し・年越しの他に、臨時の大祓がけっこうおこなわれていたようです。また、地方では制度化された大祓を同じようにおこなっていたという説と、臨時に必要時だけおこなっていたという説があります。平安期には朱雀門以外でもおこなわれた例があるそうで、古代の儀式の実態については、まだまだよくわかっていない感じですね。

神社本庁によると【中世以降、各地の神社の年中行事として普及】したそうです。日本史の「中世」とは鎌倉・室町時代を指します。また、僧侶や陰陽師といった神道以外の宗教者も大祓を取り入れ、よく似た「祝詞(のりと=祈りの言葉)」を使って除災儀式をおこなっていました。

Wikipediaによると、宮中行事としては「応仁の乱」の頃にいったん途絶えたようです。これはよくあるパターンで、日本史上最大の混乱期だった「応仁の乱」~戦国期までは途切れ、江戸に至って安定すると再開し、明治以降、天皇中心主義から古代儀式の復興がおこなわれる。大祓もこのコースを歩んだものと思われます。

さて、ハラエの中身ですが、形代(かたしろ)で体を撫で、息を吹きかけ、ケガレを移して、神社に納めるとか、流し雛のように流してしまうのが主流。平安期の法令ルールブック『延喜式(えんぎしき)』には、天皇が御衣や刀に気息をこめ、麻で玉体(=天皇の御体のこと)を撫でると書かれており、基本は変わっていないんだなぁと思います。

神社では、茅(ちがや=イネ科の植物の総称)の輪をくぐる「茅の輪(ちのわ)くぐり」「茅の輪神事」というハラエもおこなわれます。これは素戔嗚尊(すさのおのみこと)に関わる、旅のエライ神や人を助けた家に福がくるパターンの伝説に由来し、疫病よけになると教わったものが茅の輪だったことから起こったとされています。

8の字にくぐるのですが、ちょっと調べてみたら神社によりお作法が違うようです。せっかくやるなら、詣った神社で、周囲の説明をきちんと見聞きすることが大事かと思います。

かくいうわたしは、モル息子のこともあって今日は自宅閉じこもりです。まあ、罪ケガレをはらってしまったら、跡形残らないような人間ですから、ちょうどいいのかもしれません(笑)。


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