本日、3月30日。
あっというまに3月も終わり。いつも月末記事というのが変だと言われつつ(笑)、3月の異名について書いてみたいと思います。
まず、弥生(やよい)。
弥生は文字どおり「いよいよ生い茂る」の意。「草木弥生月(くさきいやおいづき)」の短縮形といわれています。実感にぴったりのこの説、めずらしくすっきり、定説とされています。
弥はイヤとも読みます。「嫌」ではなくて「いよいよ」と同根の言葉で、イは接頭語。ヤが、事物がたくさん重なる意の副詞です。物事や状態がだんだんはなはだしくなる、「ますます」とか「次から次に」の意。また「非常に」とか「もっとも」の意もあります。
ちなみに、この弥を使った「弥栄(いやさか)」という言葉は「いよいよ栄える」意を表す祝いの言葉で、現在の「バンザイ」のように使いました。
そして、桜月(さくらづき・おうげつ)・桃月(とうげつ)・花月(はなづき・かげつ)・花見月という名前たち。
待ちかねた花がとりどりに咲く、うつくしさと明るさを反映したような名前です。
そういえば、上方に「はんなり」という言葉がありますね。どうも近頃「なよやか」「やんわり」といったニュアンスで使われている印象ですが、これは「華なり」の略形で「はなやか」「ぱっと明るい」が原義。上品・気品という意味をも含むので、雅やかな感じを表すといえばいいでしょうか。私見ですが、「ふんわり」「やんわり」などと通じる語感なので、勘違いが生じているように思います。
花といえば、花飛(かひ)。
これは花の散る様子を表す言葉で、もともと中国では特定の花を指すものではないそうです。しかし、日本では桜に結びつき、雅な表現として3月をも指すようになったようです。
あと、「華節」という異名もあると読んだことがあるのですが、辞書にもなく、今回調べた限りでは詳細がわかりませんでした。けれど、感じとしては理解できる気がしますね。
また、季春(きしゅん)・晩春(ばんしゅん)・暮春(ぼしゅん)といった名称もあります。
これは、旧暦では1~3月を春と定めるので、春の一番最後の月であることを示す名前たちです。
ちなみに「季」はスエとも読み、古代中国では一番下の息子の名に使ったりする文字でした。この文字を含んだ「季節」という言葉が「シーズン」の訳語に使われたため、この文字も「期間」を示すかのように使われる(乾季・雨季など)ようになりましたが、本来「期間」を表していたのは「節」のほうです。
春惜月(はるおしみづき)という名も「春が終わってしまう月」という気持ちのこもったものでしょう。ただ「最後の月」という感じの漢語表現に比べ、情緒的で詩的な言いかただと思います。
また、建辰月(けんしんづき)とも。
これは1月の異名「建寅月(けんいんづき)」でも書いたように、十二支を月に割りふったもの。ただ、今回ネットで調べ直してみたら、この「建」は北斗七星のひしゃくの柄のことで、柄が辰の方向を指しているのでこう呼ぶ、という記述をいくつか見かけました。
不思議と建寅月については言及が見当たらず、知らなかったのですが、改めて辞書で「建」を調べてみると【北斗七星の柄の指す方角。それによって月を表す】とのこと。1月の時の調べが足りなかったもので、恥ずかしい限りです。
他に「雛月(ひいなづき)」という、とてもわかりやすい異名と、「夢見月」という全然いわれがわからない異名があります。たぶん、ですが、桜のことを「夢見草(ゆめみぐさ)」とも呼ぶので「夢見草月」の意で、桜月と同じ感覚の呼びかたではないかと思います。
そして、蚕月(さんげつ)。
春はカイコを孵化させ養蚕を始める時期でもあります。養蚕の本家・中国では幼虫を守るため、この月は来客も断ったそうです。これは季節の変わり目、温度と湿度に敏感なカイコから片時も目を離さない心構えと、カイコの病原体感染を防ぐためだったといいます。
のんびりした空気の反面、一年の生産活動が始まる忙しい時期でもある3月。昔は屋根葺きやミソを作る豆を炊くのもこの頃がよいとされていたとか。
現代でも、都市生活者でも、何かと忙しい時期ですが、道ばたの小さな花ににっこりできるから、まあ、いいかな。