本日、3月27日。
昨日は2日がかりの記事の後編を書いちゃったので1日遅れの話題となりますが、26日で二十四節気・春分の「次候」に入りました。

次候とは二十四節気を三分割した七十二候の2番目の季候ということで、季節を表す言葉は「桜始開(さくら はじめてひらく)」です。
<暦についてくわしくは過去記事二十四節気 七十二候へ>

また、今日は「さくらの日」。
27日を「2+7=9」として、さ(3)く(9)らの語呂合わせと、上記の「桜始開」の頃であるからだそうですが、そんな無理に駄洒落みたいなことしなくてもいいような…風情がなくなる気がするのはわたしだけでしょうか(笑)。

日本人には格別の花、国花たる桜。

ところが『万葉集』の時代には、花といえば「梅」を指しました。これは、梅が当時の先進国・中国から渡来してきた花樹で、時代の先端っぽかったため、もてはやされたものと思われます。宮中に咲く「右近の橘・左近の桜」も、もとは橘と梅だったと聞いたことがあります。

雛飾りにも含まれる「右近の橘・左近の桜」とは、京都御所の紫宸殿 (ししんでん=政務や儀式をおこなう場所)の階段下に植えられている花樹のことです。朝廷での会議の際、西側の橘は右近衛府の武官が並ぶ側にあたり、東側の桜のところには左近衛府の武官が並んだことから、この名があります。

平安期に入って中国文化の影響が薄れ、「国風文化(こくふうぶんか)」つまり「日本風の王朝文化」が発達するに伴い、梅よりも桜が好まれるようになりました。

桜といえば、現在では圧倒的にソメイヨシノですが、これは江戸時代に現れた品種で、「願わくは桜の下にて春死なむ…」とまで詠んだ西行(さいぎょう)をはじめ、古人が愛した桜はだいたいヤマザクラです。
<西行については過去記事こちらへ>

ソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラが交配してできた品種です。

桜の原産地は西アジアらしいのですが、ヤマザクラ・オオシマザクラ・エドヒガンなどいくつかの品種は日本原産なのだそうです。日本原産のヤマザクラ、日本原産の品種から日本で生まれたソメイヨシノと、日本人に親しい花は純正和物(笑)のもののようです。

ソメイヨシノは雑種のため完全不稔(子孫が残せない)で、挿し木で増やすことしかできません。要するに、全国にあるソメイヨシノは全部、もともとひとつの木ということになります。

まあ、よくこれだけ増やしたものです。いかに日本人が桜を愛しているかがわかりますね。

わたしは新興住宅街育ちで、植樹されたソメイヨシノやヤエザクラしか知らずに育ったのですが、現在住んでいるところはヤマザクラがたくさん残っています。ヤマザクラは寿命が長く大木になるそうで、ちょっと桜だとは思わなかったようなどっしりした木もあります。野趣があって、今ではソメイヨシノよりも好きですね。

しかし、お花見の大騒ぎは嫌いです。

昔、桜の名所の近くに住んでいまして、あたり一帯の公園すべて桜ばっかりという環境でした。この時期になると大勢の人が出て、飲み食い、カラオケで歌っていますが、誰も桜なんか見ていません。何が「花見」なのだと思いました。

焚き火に浮かび上がる夜桜を見たことがあります。幽玄とはまさにこのこと、神秘的で怖いくらいうつくしかった。あのうつくしいものをただの道具立てにして、ろくに見もせず、ひたすら飲んで騒ぎたいのならば、造花でなさればいいものを。

「花見むと群れつつ人の来るのみぞ 可惜(あたら)桜の咎(とが)にはありける」
(花を見ようと人が群れをなして押しかける、それが惜しいことに桜の罪である)

桜ではなく、静かにはかない美を味わうことのできない、人間の咎でしょう。
…などと熱くなるのも、桜ゆえでしょうか。


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