本日、3月8日。

昨日のブログで、蛾の話から焦がれるような恋にふれたので、どうも恋の話が頭に浮かびます。
そこで、今日は『万葉集』に残された、天を焼き尽くすような恋の歌をご紹介します。

歌の作者は狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)
と、わたしは記憶していたのですが・・・

『万葉集』も古いものですからたくさんの写しが存在します。そのため、写本によって名前や歌の一部が違っていたりするのです。今日のヒロインの名も、「茅上」の他に狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)という説があり、どちらかというと「茅上」のほうが異説(通説ではない)扱いのようです。

けれど、ずっと思い入れてきたのは「茅上」だったので、ここでは「茅上」で通します。


茅上娘子は中臣宅守(なかとみのやかもり)という男性と恋に落ちます。
しかし、彼女は蔵部(くらべ)の女嬬(にょじゅ)。蔵部とは貢納された物品などを管理する下級部署で、女嬬は雑事をこなす低位の女官のことです。

互いにさしたる身分でなくても、宮女と官人との恋愛はいけなかったらしく、ふたりの関係が知られて、宅守は越前(現在の福井県)へと流刑されてしまいます。


●君がゆく道の長路(ながて)を繰りたたね 焼き亡ぼさむ天(あめ)の火もがも
(あなたが行ってしまう長い旅路をたぐり寄せ、折りたたんで焼き捨ててしまいたい。そんな天の火があればよいのに)

宅守が都を出る時、まさしく茅上娘子は天に叫びました。後世のなよやかな女性像とはまったく違う、万葉の女性の強さ、激しさがそのまま叩きつけられたような歌です。


もちろん、そんな天の火があろうはずもなく、宅守は越前へ旅立ちます。
都を離れれば原野、道は悪く、川にはろくに橋もかかっていないような時代。旅の途中で死んでしまうこともめずらしくありません。その苦しい旅路で、宅守は茅上娘子を想います。


●かしこみと告(の)らずありしを み越路の峠(たむけ)に立ちて妹(いも)が名告りし
(罪人であるわたしが名を呼んではいけないと堪えていたが、もう、ここは越前への峠。堪えかねてお前の名を呼んでしまった)

妹とは、愛しい女性や妻を呼ぶ名称です。恋人の名を「畏み」と、聖なるもののように大切に扱うようすが、宅守もどれほど茅上娘子を愛していたかを語っているように思います。


ふたりは互いに恋い焦がれ、別離を悲しむ歌を交わし続けました。
そしてある日、その頃おこなわれた大赦(たいしゃ=特別に重罪人が許されること)によって、都に帰ってきた人がいるとの噂が茅上娘子の耳に入ります。胸をとどろかせて駆けつけた彼女が目にしたのは、しかし、赤の他人でした。


●帰りける人来たれりと言いしかば ほとほと死にき 君かと思(も)いて
(大赦にあって帰ってきた人がいると言う噂を聞き、わたしは死にそうになりました。てっきりあなただと思ったのです)


息が詰まり、心臓が破れるほどの喜びは幻でした。茅上娘子が今度は死ぬほどの絶望に叩きのめされたことがしのばれ、読む側の胸もしめつけられます。口語訳がもどかしいほどの激しさです。


ふたりの恋物語は『万葉集』編纂の頃には “ レジェンド ” だったらしく、数十首の歌がまとめて残されています。しかし、宅守が許されたのち、彼らが結局どうなったのかは不明です。

また、宅守が流された理由についても、宮女との恋愛タブー説のほかに、宅守の重婚説(当時は通い婚なので、何を重婚というのか?とは思いますが)、ふたりの恋に関わらない、まったく別の罪で流されたという説もあります。

ふたりが末永くしあわせになりました、で終わって欲しいところですが、いつの時代のどこの誰ともしないまま、核心だけをズバリ切り取ってくる昔話同様、背景が語られないからこそ、恋心だけがあざやかに心に残る、ともいえます。


ところで、今日は「国際女性デー」。女性の政治的自由と平等のためにたたかう記念日なのだそうです。

茅上娘子は、為政者に向かって反抗はしませんでした。古代の女性なのだから、近代的意識がなくて当然です。しかし、彼女の歌にふれると、後世、ただただおとなしく、頼りなく、しとやかであるべしとされた女性像とは違うものが見えます。

ナデシコはもともと野山や河原に咲く雑草。強くたくましく、時に激しく、ただひとり、すっくりと咲きたいものです。



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