本日、3月4日。

ミ(3)シ(4)ンの語呂合せで「ミシンの日」。

ミシン発明200年を記念して、日本家庭用ミシン工業会(現在の日本縫製機械工業会)が1990(平成2)年に制定したものだそうです。




ミシン発明の歴史は、Wikipediaによれば【1755年、イギリスのワイゼンソールが、1790年、同じくイギリスのトーマス・セントがそれぞれ別の仕組みのミシンを発明。ただし、どちらも量産はされなかった。1810年、ドイツの靴職人クレムスが針先端付近に針穴がついたミシン針を発明。近代ミシンの原理の基礎となる】とあり、どちらかというとクレムスが直接の「元祖」で、なぜ、順番でも二番手にみえるセントを記念日制定の規準にしているのか、よくわかりません。




不思議に思って、ざらっと検索してみたところ、サイト「今日は何の日」に【イギリスのトーマス・セイントが世界で初めてミシンの特許を取得したのは1790(寛政2)年だった】とあり、この初の特許取得を規準にしたものと思われます。




ちなみにこの後も、Wikipediaによれば【フランスのバーシレミー・シモニアが1830年に特許をとったミシンが[中略]1840年に80台生産された[中略]アメリカ人のウォルター・ハントは、現在のミシンとほぼ同じ構造の[中略]ミシンを1830年代はじめに発明した】と、歴史は続き、【1850年、アイザック・メリット・シンガーは現在とほぼ同じ構造のミシンを発明。翌年特許をとり、I. M. シンガー社(のちのシンガー社)をつくった】と、ここでやっとわたしも知っている名前にたどり着きました。




日本では、ペリーが将軍家への贈り物としたのが最初のもののようです。


和名「ミシン」の語源は、当時の人がソーイング・マシンの「マシン」をミシンと聞き取ったものらしく、和洋折衷の「裁縫ミシン」という名称の略語がひろまったもの。つまり、もとの意味でいくと、ただ「機械」とだけ呼んでいるわけで、ちょっと面白い気がします。




わたしは不器用というだけでなく、二次元の布から三次元の衣服や小物になること自体が、どうも上手く理解できない感じがあります。布を丸めて袖、まではいいとして、肩の曲線となると、その曲線がなぜ肩にフィットする立体的な稜線になるのか、魔法でもみているような気がしてしまうのです。




女性のたしなみは、まずお裁縫!という時代に生まれなくてラッキーでした(笑)。


沖縄にはお裁縫ができなくて、離婚された女の子の話が伝わっています。最後がカッコよくて好きなお話、ご紹介します。




沖縄に3人の按司(あんじ=領主)がいて、ひとりだけ独身だった。なんとか嫁が欲しいと天のお告げをきき、告げられた女性を迎えるが、なんと相手はまだほんの幼児。按司は困って返そうとするも、お告げだからと止められ、仕方なく成長を待った。

しかし、数年経っても幼い妻は裁縫もせず、ままごと遊びばかりしている。とうとう按司は辛抱が切れて、彼女を追い出してしまう。出された少女は「なぜ何も教えぬうちに嫁に出したのか」となげき、実家で猛修行して裁縫の名手になった。

さて、按司はまだ独身のまま。案じた周囲が「嫁見立て」を計画、最初の妻が裁縫ができずに追い出されたからと、輿に乗り縫い物をして通る者が続出するが、按司の目にはとまらなかった。そこへたまたま若い娘が通りかかり、按司が心を惹かれて声をかけると「古妻、投げ妻に声をかけて、めくらみ者め」と罵られる。それは追いだした妻の成長した姿だった。

按司は短慮を周囲に叱られて、娘のもとへ行く。娘の乳母のとりなしで受け入れられたので、後日、按司の乳母が改めて迎えにいくと、娘は「二度戻りゆえ、山は高さを引き下げ、谷は米で満たし、敷物をつらねて、陽に当てぬよう連れて行け」と言い、すべて言うとおりにして戻ってもらった。そしてふたりは今が今まで、よい暮らしをしているそうな。




ペタしてね