本日、2月22日。
ニャン・ニャン・ニャンで「猫の日」です。
猫と一緒に暮らせる幸せに感謝し、猫とともにこの喜びをかみしめる記念日を…と、1987(昭和62)年に「猫の日制定委員会」が制定、ペットフード協会が主催しているものです。
Wikipediaによれば「猫の日」は各国にあって、ロシアは3月1日、アメリカは10月29日、ワールド・キャット・デイは8月8日なのだそうです。
西洋では「黒猫は縁起が悪い」とされ、現在では日本でも「前を横切ると不幸が起こる」などと輸入ものの縁起担ぎをしたりしますが、実は日本では黒猫は縁起のよい生き物でした。江戸時代には黒猫を飼うと労咳(ろうがい=肺結核)が治るという俗信があったといいます。近頃、また怖い病気として復活しつつある肺結核ですが、当時はほぼ確実に死に至る病でした。その恐ろしい病気にも勝るのだから強力です。
また、恋の病にも霊験があるといわれたそうで、これまた、歌にも「お医者さまでも草津の湯でも 惚れた病は治りゃせぬ」と歌われた重病にも有効とは、黒猫ちゃんのパワーたるや想像を絶するものがありそうです。
養蚕においては、カイコを食べるネズミを退治する猫は神さまでした。その発想でいけば、コメを荒らすネズミを退治するわけですから、農業においても猫は神さまのはず。ひょっとすると、囲炉裏端の「横座」に猫の居場所を置いたというのは、猫が猫神さまだったからでしょうか。
のどかに見える囲炉裏端ですが、家族内の「序列」によって座る場所が厳然と定まっていました。一家の主の座る「横座」には決して誰も座らず、主人がいない時には猫が代わりに座っていたといいます。誤って主の座席に座ってしまわないための配慮といいますが、その席を特別視するのなら、動物の居場所にするより何かありがたい物でも置いておいたほうがいいように思います。ありがたい神さまの化身だったからこそ、一番いい席に据えられたのではないか。そんなふうに想像しています。
しかし、やっかいな病も治すと信じられた神秘性がわざわいするのか、どうも猫には「いい話」が少ないようです。犬のように、誰かのために命がけで戦うとか、主人を守るという話はほとんど見られず、むしろ主人を殺して成り代わろうとしたりします。以前書いた「猫の正月」記事でご紹介した昔話も、猫は悪者でした。
猫ちゃんが主役の日に、毎度毎度「悪い猫」話ばかりではかわいそうですから、今日は猫の「いい話」をご紹介して終わりたいと思います。
むかし、あるところに大金持ちの長者どんがいた。しかしこれは無慈悲な人間で、たった一匹の雌猫さえも「よけいなエサを食う」とて捨ててしまった。この長者のとなりには、貧しいが正直で心やさしい若者が住んでいた。夜半にしきりに猫の鳴き声がするので、若者は寒いのをこらえて起きていき「お前の主人にひどいことをされたか、ならばうちに来ればよい」と、猫となけなしの食べ物をわけあって暮らすようになった。
ある日、若者が何気なく「お前が人間なら、おれが畑で働くうちに家で粉でも挽いて、暮らしの助けになるのにな」と言ったところ、夕方、畑から帰ると粉を挽く音がする。見れば猫が恩返しとばかり石臼をまわしていた。それからは猫が助けるようになったので若者の暮らしも少しよくなった。すると猫が「もっと恩返しがしたいから、伊勢参りに行かせてくれ」と言う。若者は、これはただの猫ではないからと言うなりに出してやった。猫は首尾よくお詣りして、神さまに人間の女にしてもらい、若者の嫁になった。そして人間の倍も働いたから、末にはとなりの長者よりも栄えたそうな。