本日、2月13日。

「苗字(みょうじ)制定記念日」です。




1875(明治8)年のこの日、「平民苗字必称義務令(へいみんみょうじひっしょうぎむれい)」が公布され、すべての国民が苗字(=名字、姓)を名告ることを義務づけられました。




日本では名字を持つ人は限られていて、公家や武家、農民なら庄屋・名主・肝煎(きもいり)、商人では旧家の豪商だったりよほど為政者のためにお金を出した人だったり。


ともかく名字は特別なもので、江戸時代には、よく「名字帯刀を許される」などというように、刀を持つこと同様に名字を持つことは誉れであり、功労に対するごほうびになるようなもの、そして逆に言えば「許可がないと持つことができないもの」だったわけです。




庄屋・名主・肝煎とは、昔話によく出てくる人々ですが、実は何なの?というかたも多いかと思います。彼らは代官の下で村の運営をおこなった「村役人」であり、村の首長=「村長」のことです。西国では「庄屋」という呼びかたが多く、関東あたりでは「名主」と呼ばれることが多かったようです。

ついでに、時代劇の悪役スーパースター「お代官さま」は、君主・領主に代わって支配地を治める役目の人。超ざっくり言って武士は基本的に「地主」で、そこから取れるコメで生活していますから、実際に田畑を耕す農民たちを管理する必要があったのですが、わずらわしい小さな領地とか、幕府や各大名が直接持っている土地に関して、専門に設けた役職者にまとめて代行させたわけです。まあ、代官=「管理人さん」ということですね。




庄屋・名主、旧家の豪商などに名字持ちが多いのは、戦国~江戸初期に転職した武士が多かったからではないかと想像しています。

そもそも織豊(しょくほう=織田信長&豊臣秀吉)時代に「兵農分離」が持ち出されるまで、武士と農民の境はそれほど明確ではありませんでした。地主は土地のために武将として戦い、小作人たちは足軽にやとわれて小遣い稼ぎをしたりしていました。土地を離れて都会(城下町)の武士になるか、土地に根ざした農民になるかという政策の前で、世の中もおさまったし帰農しようという人もおり、豊かな家産をもとに商売を始める人もいた。こういう人たちは武家として名字があったはずで、昔のご威光のおかげで、そのまま引き継がれたのではないか。そんなふうに思います。

ほかに、上記のとおり「名字帯刀の許可」は、ごほうび・表彰としておこなわれることが多いので、役人や金主として貢献しやすかった人たちに名字持ちが多いのは当然、という事情もあったのかも。




ともあれ、江戸時代には特権階級のシンボルだった名字を、平等に持てるようにしようという考えから、明治政府はまず1870(明治3)年に「平民苗字許可令」を出します。ところが、名字をつけると課税されるという疑念がひろまったり、僧侶からは出家の身だから名字は不要であるという異議が出たりして、なかなか名字をつける者がいませんでした。そのため「必称義務」=「必ず称(とな)えなければならない義務」と、もー必死なタイトル(笑)で、新たな法令が出されたそうです。

(※参考サイト「姓氏ー名字研究の手引き」)




ところで近頃は「庶民もずっと名字を持っていた」とする説が有力なのだとか。しかし、幼少時に明治生まれの人たちの世間話を直接聞けた世代として、これは少々疑問符です。

たとえば二百年後。こうして書いているブログやツイートなどを「古文書」ならぬ「古データ」として調査した人が、あふれるハンドルネームをみて「21世紀初頭には、誰もが複数の名前を持っていた」と断言したとしたら。確かに複数の名前を使いこなしてはいるわけですが、本名も仮名も芸名もHNも等し並みに言われると、やっぱり変ですよね。

通り名・屋号としての便宜上の「名字」と、いわゆる「名字帯刀」の「名字」では受け取りかたが違います。この感覚の違いを無視して、全部を「名字」とひとくくりの概念にしてしまうのは乱暴すぎると思います。




歴史ブームの一端で、名字の由来を説明する本などもよく見かけます。しかしWikipediaにも【明治以前の名字は先祖伝来の名を名乗るものとは限らず、地元の有力者に倣って名字を変える者などがおり、血のつながりとは無関係に同じ集落の家の苗字がみな同じということも起こった。明治になって名字を届け出る際には、自分で名字を創作して名乗ることもあった】とあるとおり、日本では一部旧家を除き、名字で出自をさかのぼるのは無理です。




世界遺産のTVをみていたら、中国の「族譜(ぞくふ)」というものが出てきました。いわゆる家系図ですが、数十冊に及ぶ書物で、古くなると大金をかけて作り直し、完成の際には一族すべてが集まり儀式をおこなって受け取るのだそうです。そういえば、韓国の両班(やんばん=貴族)の末裔も数十冊の「家譜」を宝物とし、火事の時は一番に持ち出すと言っていました。

この手厚さ、思い入れの強さに比べ、日本はやはり「過ぎたことには淡泊」。家系図が焼けるくらいなら焼け死ぬという人はいませんよね。それなのに、ある日突然「先祖は誰?」などと思い立ってスラスラわかるくらいなら、歴史学者は要りません(笑)。




歴史には学ぶことがたくさんあります。大切なことが見つかることもあります。けれど、過去に恋々としているのが果たして健全な状態なのか。やたら「水に流す」忘れん坊もちょっと…だけど、個人にしろ国家にしろ、執着しすぎもどうかなと思います。




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