本日、2月3日。
何はさておき、節分です。

節分といえば鬼。鬼といえば思い出す、いやな思い出があります。

小学校のとき書いた『泣いた赤鬼』の感想文が郡の文集に出されることになりました。
ところが周囲の大人、主に文学者になりそこねた父のおとなげない干渉によって、わたしの文章はたたき壊され、言葉づかいから薄気味悪い甘ったれた言葉にされ、文意さえ行方不明になって、当時の大人が思う「オンナノコ」らしい文章に仕立て上げられたのです。

わたしはショックのあまり、本当は何が書きたかったのか完全に忘れてしまいました。そしてこれ以来、対外的に本気の文章を書かなくなりました。自己表現として文章を書こうと思うようになったのは、数十年も経ってからです。

いまどきの親御さんは理性的な育児論をお持ちのようですから、まあ、こんなバカらしい事態は起こらないでしょうが、「親の過干渉がこどもを潰してしまう」いい実例だと思いましたので書きました。

文章を再開しても『赤鬼』に何が書きたかったのかは謎でした。ところが3年半前、いきなり糸がほぐれるように「想い」が還ってきたのです。真に書きたいことは必ず還ってくると信じていましたが、本当にこんなこともあるのですね。

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赤鬼よ、あなたは幸せか。
痛いほど望んだものは手に入った。しかし、青鬼を犠牲にしたことを、あなたは痛みとしないだろうか。青鬼の不幸と引き換えに我が望みをかなえたことを、あなたは苦しまないだろうか。仲良くなった村人の誰彼が青鬼を悪しざまに言うとき、あなたは何食わぬ顔でうなづいたり、英雄のふりを続けて笑ったりできるのだろうか。

遅くはない、村人に正直に話しなさい。青鬼を迎えて欲しいと訴えなさい。もしそれで、彼らがあなたから離れるのなら、青鬼が見過ごせないとすすんで身を捨てたほどの、あなたのつらさや悲しみや望みの切なさを、彼らが理解できないのなら、彼らはあなたに相応しくない者たちに過ぎない。青鬼を追って去りなさい。

ともだちは多ければいいわけではない。青鬼ひとりがいれば、あなたは生きていける。青鬼がしてくれたことは、それほどの深さだった。大切なものを見失ってはならない。なによりも大切なものを、見失ってはならない。

ああ、還ってきてくれて、ありがとう。

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と、こんなふうにその日、書き留めています。
いくつかは大人の言葉に変換されてはいますが、もともと「である」調の文体だったはずで、確かに、こどもらしくはないですね(笑)。

さて、鬼には思い入れのあるわたくし。同じ頃にいろいろ考察した「私見ノート」がありますので、そこから語源に関する部分を抜き出して載せてみます。

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◆鬼(おに)について

語源の大勢は「隠(おん)」の転音説であるが、折口信夫によれば「漢字の転音ではなく日本古代の語で、常世神の信仰が変化して、恐怖の面のみ考えられるようになったもの」「オは大きいの意。ニは神事に関係するものを示す語。オニは神ではなく、神を擁護するもの。巨大な精霊、山からくる不思議な巨人をいい、オホビト(大人)のこと」。また白鳥庫吉によれば「アニ(兄)の転訛。敬うことから生じたもの」。
アニはマタギで有名な「阿仁」に通じていて面白い。どちらにしてもオニは山に関わるものであったと思われる。

なお、「ニが神事に関わる」というのは今のところ詳細不明。地を表すナやニにも通じるか。オーカーが丹(に)であることや、玉のうち特殊なものを瓊(に)と言ったことを思えば、何か霊的なものを指すのも不自然ではないと思う。

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ちなみにオーカーとは赤色の顔料(塗料・着色剤などに用いる、水などに溶けない色つきの微粉末)のこと。世界の広範囲で死者を葬る時に使われました。生命力の象徴で、復活再生の意があります。
<色彩の雑学は、過去記事こちらへ>

オニと読み仮名をつけているのは、これを「キ」と読むと中国での「鬼」=死者、亡霊、幽霊の意になってしまうからです。日本のオニとはあきらかに違うものなのですが、不吉なものとされるようになった背景には、この「キ」のイメージがあるのかもしれません。当て字の意味に引っぱられて言葉そのものの意味が変わってしまうことも、けっこうあります。

節分の鬼といえば、行くところがないと嘆く鬼をあわれんで「鬼は内」とやった家に、鬼が福をさずけてくれる昔話が大好きです。もしかしたら、あの「青鬼」かもしれません。あんまりつれなくしないであげてくださいね。


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