本日、1月30日。
1970(昭和45)年、公衆電話からの市内電話料金が3分10円になった日で「3分間電話の日」なんだそうで。それまでは時間は無関係で、1通話あたり10円だったそうです。
近頃とんと見ませんね、公衆電話。ケータイやスマートフォンがあれば必要ないとはいえますが、すぐ一点集中しちゃって絶滅後に困らなければいいのですが…。進取の気質に富む日本人の長所は、古いものも大切にして初めて長所になり得ると、わたしは思います。
さて、今日は1月・正月にまつわる話題の第二弾。
古いものつながりで「昔話」について書きたいと思います。
今では楽しみの類となっている「昔話」ですが、昔は心して聞かねばならない厳格なものでした。いつでもどこでも語ってよいものでもなく、
◆雪の降るとき以外語るな
◆夏むかし語ると貧乏になる
◆正月以外に語るとネズミに小便かけられる
◆正月むかし、というものだ
◆昼むかし語ると口が裂ける
などと言い伝えられ、大晦日・正月・節分・収穫の祝いの場などに限定されていました。なかでも正月は特に語りの場として重要視され、「正月むかし」「春むかし」という呼び名が残っています。
これは「古事記」で知られる「語り部」の原形をとどめたものだったといえるでしょう。「語り部」の職務も、ただ文字がないための記憶装置なのではなく「儀式の際に伝承を語る」という、祭司的な側面をもちます。昔話も、節目に皆が集い、刀自(とじ)から一族や集落の歴史を学び、話にこめられた祖先からの教えを受け取る、一種の儀式だったといえます。
刀自とは、古代では一族を代表する老女を指しました。戸主(とぬし)の略形ともいわれますが、わたしは一族をまとめる「綴じ」の意があったと考えています。
具体的には『もののけ姫』の「ひいさま」を思い浮かべていただくと、わかりやすいかと思います。
また「昔語りを聞くことによって、祖霊のちからを言霊(ことだま)として我が身の内に入れる」という信仰があり、特に新年には新たな一年に向かうちからを授かるような感覚があったといわれます。ゆえに、心構えや諸注意から語りはじめたり、語り始めに儀式めいたことがおこなわれたりしたようです。
◆ありしかなかりしか知らねども あったとして聞かねばならぬぞよ
というのは鹿児島県黒島の申し渡しスタイルですが、各地に同じような「真実として聞くべし」という表現が残っています。
お正月を題材にした昔話には福々しい笑い話も多いようです。
日本のおめでたい笑いというと、けっこうエッチ系の話、きわどい話だったりします。「ひめはじめ 」でもちょっと触れましたけど、日本では性的なことを収穫に結びつけ、めでたいものと受け止めていたからです。
というわけで、実り多い一年への祈りをこめて「大穂(おおぼ)ぶらぶら」という昔話を。
むかし、とても頭のいい使用人がいた。奉公している家では、お正月になると餅をふるまわれ、食べるやすぐに「遊びに行け」と言われる。言われるままに外出してはいたが、不思議に思った使用人、とうとう調べてみようと次の正月、遊びに出たふりをして隠れて様子をみてみた。すると奥の間の歳神さまを祀ってある前で、主人が前をひろげて男のものを出し「大穂ぶらぶら」と唱えてぶらぶらっと振る。そして奥さんも前を開いて女のところを出し「貝の口、閉めた閉めた」と唱える。そこで使用人は、自分も祝ってやろうとて小さいのを出して「小穂(こぼ)までぶらぶら」と飛び入りすると、主人夫妻は「どえらいめでたいことを言ってくれた」と喜んで、たっぷりごちそうしてくれたそうな。
(参考資料:松谷みよ子編 『昔話十二か月』)