本日、1月29日。
そろそろ1月も終わりですから、1月・正月にちなむ話題を続けてみたいと思います。
今日は1月を指す月名について。
まず「睦月(むつき)」。めでたい正月、皆で睦まじく過ごしましょうという意だというのが通説です。他に、発芽をそろえるために稲の実を水に浸す作業を初めておこなう月なので「実月(みつき)」、これが転じたとの説や、「元つ月(もとつつき)」「萌月(もゆつき)」「生月(うむつき)」からという説もあります。
個人的には、これらのうち幾つかがないまぜになってできた言葉だと思います。答えはひとつとは限りませんし、音が転じる時に他の意味が入ることだって多いと思うんですよ。それに、広まるものは必ずいろんな人のいろんな実感や体験や連想が働いているものですから。
次に「初月(しょげつ)」。これは最初の月ということで、そのまんまの意味ですね。最初という意味では「太郎月(たろうづき)」という名もあります。太郎は「長男」を指すので、ひとつのグループの中で「最大」とか「最初」のものに使われます。この場合は12ヶ月の「長男」というわけです。
それから年端月(としはづき)。年端とは「年歯(ねんし)」の訓読みに別の文字が当てられたもので、昔は当て字で何とでも書いたので、こういうこともけっこう起きます。年歯とは「年齢」を指す中国伝来の言葉です。昔は「数え年」で正月にいっせいに歳を取りましたから、それを表した呼び名だと思われます。また、長寿を象徴する意があったという見方もあるようです。
中国からの輸入としては「端月(たんげつ)」。これは、古代に大帝国を築いた「始皇帝」の名が「政」で、正月の「正」と音が同じだったため、おそれ多いということで言い換えられたもの。礼儀として、本名を呼ぶのを避けるのは中国でも日本でもおこなわれていました。太古、呪術的な意味合いで「名前にはその人を支配する力がある」とみていたためといわれ、それゆえ支配者であるエラい人の名前はなおのこと、庶民ごときが呼んではいけないわけです。この言い換えのおかげで、妙にややこしくなっている言葉はたくさんあります。
もうひとつ中国由来の「建寅月(けんいんづき)」。これは暦の基本を冬至に置き、冬至を含む月を十二支の一番始めの「子(ね)」で「建子月」とした考えかたによる呼び名です。この「子」と続く「丑(うし)」「寅」をそれぞれ年始とする説があったのですが、漢の時代に「寅」が年始に定められました。
最後に祝月(いわいづき)。「斎月」とも書きます。祝いというとめでたく聞こえますが、実は「忌み月」とも読み、「忌みつつしむべき月」の意。1月・5月・9月は祝月とされ、凶の月とされて出産・結婚などを嫌ったそうです。
これは盲点でした。てっきり、おめでたいお祝いの月の意だと思っていましたので。で、急ぎ調べたところ…
デジタル大辞泉の「三長斎月」の項に、仏教で【在家の信者が八斎戒を守り精進する、1月・5月・9月の三つの月。この月には諸天や鬼神が四方を巡行し、一切の善悪を四天王に報告するという】とありました。なるほどー「庚申待
」みたいなものか。
では「八斎戒」とは何かというと、手持ちの辞書では「五戒」+三つ。五戒とは「不殺生・不偸盗(ぬすみ)・不邪淫・不妄語(うそ)・不飲酒」で、これに「高く立派な寝床に寝ない」「化粧や装身具をつけず歌舞を楽しまない」「非時(食事を取ってはいけない時間)に食べない」というもの。
なぜか「good-stone.com.」という石屋さんのサイトにとてもくわしい解説がありました。墓石などを扱う関係からなのでしょうか?
【「正月・五月・九月」の三つの月は他の月とわけて「三斎月」あるいは「三長月」・「善月」とも呼ばれていますが、この三つの月の間は八斎戒を守って殺生をやめ、非行を謹んで過ごすことが昔から行われてきました。『四分律行鈔』という書物によると、正月・五月・九月には、冥界にある人間の善悪の行為を映し出す「業鏡」が】こちらを向いているそうで、大辞泉とは少し違いますが、どのみち特に監視されてる月ということですね。
【また、正月は物事が生じ始める時であり、五月は最も盛んに興起している時で、九月はそれらの命が実を結ぶ時であるから、この正月・五月・九月があげられているともいわれています。これらの事から、「正・五・九」の三つの月に、ことにお参りや祀りごと・祈願などが盛大に行われるのです】とのことで、特に悪い意味などありません。むしろ清浄なありがたい月という感じです。
「忌み」という言葉の意味が「つつしみ」ではなく「縁起悪い」になる過程で、凶の意味に取られるようになったのでしょうか。あるいは「八専 」同様、日本人の得意な「事なかれ」で先回りして考えすぎるうち、どんどん意味が変わっていってしまったのでしょうか。
というわけで、ホントに世界は謎だらけ、知りたいことだらけですよ。