本日、1月25日。
児童文学作家・斉藤隆介さんのお誕生日です。創作童話『モチモチの木』の作者といえば、思い当たる方も多いのではないでしょうか。


1917(大正6)年、東京都生まれ。Wikipediaによれば【明治大学文芸科に入学。[中略] 卒業後、北海道新聞、秋田魁新報の記者を歴任。新聞記者のかたわら著作活動に入る】【当初は子供向けではなく、地元の教員や生徒の父母に向けた作品でありながら、画家滝平二郎の独特な挿絵、絵本化によって次第に有名な児童文学作家となる】という来歴になります。


こどもの頃に「児童に与える推奨書籍」みたいな感じでセット販売されていた中の一冊が、童話集『ベロ出しチョンマ』でした。お気に入りでずっと手放さなかったのに、高校を卒業して実家を離れると、他の大事な本たちと一緒に断りもなく親戚のところへ行ってしまいまして。本棚のひとつやふたつ、置いておけないような家でもないんですけどね。のちになって文庫になっているのを見つけ、本当にうれしかったです。


表題の『ベロ出しチョンマ』は長松(ちょうまつ)という男の子の話で、年貢の苛烈さに耐えかねて直訴(じきそ)した親に連座して死刑になるこどもたちを描いたもの。直訴とは、ざっくり言って「農民などが手続きを踏まず領主などへじかに訴えをすること」で、「直願(じきがん)」とか、順序を飛び越えるので「越訴(おっそ)」ともいわれます。暗い話なのでウケないのか、表題作にも関わらず、あまり知られていないように感じます。


好きなお話ばかりです。「五木の子守唄 」などでも書いたように「余ったスペア」のような扱いを受けた跡継ぎ以外の男たちのために、林業をすすめ、山火事を消そうと山にかぶさって焼け死んだ巨人を描いた『三コ(さんこ)』のような気高い話、不自由だと思った山の木が実は置かれた環境の中で誇り高く生きている『緑の馬』といった爽快な話。そしておとなになって、あれは面白かったなぁとつくづく思った話もあります。


『東・太郎と西・次郎』。山をはさんで東の国は日照り、西の国は大雨で大洪水というなか、東には太郎という自分のためにしか動かない青年、西には次郎という他人のためにしか動かない青年がいて、片方はどうでも冷水が飲みたくなって水源まで行こうと山へ出かけ、片方は水源まで行けば我が身ひとりでも水が止められるだろうと山へ行きます。すると山頂には龍がいて、脱皮で苦しんでおり、そのため顔のある西には涙が降り注ぎ、苦しまぎれに振る尾っぽのある東は雲が払われていた。そこでふたりは両方から皮を引っぱって脱皮を早めようとする。ふたりは西と東にけし飛んで、脱皮した龍は西の黒雲をつかんで天に舞い上がり、東の国にうれし泣きの涙を注ぐ。ふたりは【顔を見合わせてワハハ、ワハハと笑った。なんだかほんとに生まれて初めてくらい、シン底ゆかいでおかしかった】と話は終わります。


自己犠牲が好き=立派な人と言われそうな次郎だけの話でなく、エゴイストの太郎も結局は次郎と同じ大切な働きをするところ、それもとことん勝手な動機のままなところが印象的でした。いろんな人がいて世の中は動いてゆく、そんなバランスのよい話だと思っていました。
ふたりは生まれ直したのではないかと思ったのは最近のことです。自分のことだけしか考えられないのも何かが足りないが、他人のことしか考えられないのも何かが足りない。いわば「半魂」であった彼らが出会い、龍の不思議を通して、それぞれを補ってバランスを持ち直したのではないか。だからこそ「シン底ゆかい」だったのではないか。そんなことを考えたりしています。


あとひとつ、どこかで自分の支えになっている話もあります。人の命を狙う青鬼と赤鬼の長年にわたるお話です。
青鬼はあわて者だったから与茂平にすぐ取り憑き、与茂平は病気を抱える身になった。稼ぎも少なく遊べもせず面白くはなかったが、弱いなりに嫁をもらい子や孫に囲まれ、細く長く生きて息を引き取った。赤鬼はシタタカ者だったから、五郎市の家の前で大鬼まで育って嫁をもらい子を作り、その間、五郎市は丈夫で元気、大飯食らいで大酒くらって若い嫁をもらってこどもが生まれた。喜んでどぶろく飲んでいるそのとき、赤鬼が嫁や子とともにいっせいに取り憑いたから、五郎市は急死、驚いた嫁はショック死、みる者もない赤児も亡くなる悲劇に見舞われる。以来、村人は「無病息災」ではなく「南ン無、与茂平、一病息災」と唱えるようになった…。


最後に病児に対する【おっかなぐねえ、おっかなぐねえ】という呼びかけで終わる『なんむ一病息災』。時に自分をガラクタのように感じる故障の多い人間にとって、これでもいいんだなと折ふし思い出すお話です。
では、赤鬼に狙われていそうな方もぜひご一緒に、「南ン無、与茂平、一病息災」。


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