本日、1月21日。
奈良時代の僧侶・行基(ぎょうき)が大僧正になった日です。

この行基について書くつもりだったのですが、今日はやめました。


わたしは体質的に弱く、小学生にして頭痛・肩こり・神経痛。フツーに頭痛があるので、長いこと「頭痛薬」ってなんのためにあるのかわかりませんでした。重度の便秘で、これまた大人になって周りの便秘話を聞くまで、月に2回も出ればいいと思っていました。親も無関心な人だったもので(笑)。


身体が揺れるような感覚が強くて、よく地震だと勘違いします。我が家では「ひとり地震」と呼んでます(笑)。首の状態が悪くなり、かなり「震度」が上がってきた(笑)ので、今日はカイロプラクティックに行こうかと予約を入れました。


で、考えると、カイロプラクティックを知らない人が多いんですよね。そこで今日はざっくりカイロプラクティックに関してあれこれと。


カイロプラクティックとは、1895年にアメリカのダニエル・デヴィッド・パーマーが編み出した「西洋式整体」みたいなもの。「カイロ」はギリシア語で「手」、「プラクティック」は「施術」を指し、「手で歪みを正す技術をほどこす」といったような意味の造語です。Wikipediaによれば【WHOでは補完代替医療として位置づけられている】そうです。


補完代替医療とは、補完医療が【通常医療や代替医療に取って代わるものではなく補完する医療】を表し、代替医療が【通常医療の代わりに用いられる医療】の意だそうで、まあ、「通常医療を押しのける感じの意味合いを避けて、総称している」という理解でいいかなと思いました。お医者さんにはいろいろ気をつかいますね(笑)。


よく病弱系の友人知人やブロ友さんとも話すんですが、慢性的な症状や、某漢方のCMでひろまった「未病」という状態にある人にとっては、西洋医学はあまり向きません。はっきりした病気・ケガでその状態を消し去ることができる場合、西洋医学は強大なちからを発揮します。ただ、現在の科学は「あいまいなもの」にはたいへん弱い。人間のからだという微妙な、ファジーなものを扱うには、ちょっと一面的すぎる気がします。


そこを埋めるのが「代替医療」「補完医療」というわけですが、ひとつ注意しておきたいことが、法制化されていない技術には必ずあやしい人間が入り込んでくること。

そういえば、江戸時代には医者も法制化されていなかったので「髪が薄くなって頭を剃ったから医者になろうか」なんてケースもあったとか。江戸期の医者はスキンヘッドがお決まりでした。そして「医者でしくじったら(犠牲者とスキンヘッドを活かして)坊主になるさ」という、これはブラックジョークですが、こういうことが本当にできたわけです。怖すぎる。


カイロプラクティックの考えかたは、骨格の歪みを正すことで神経を通るパルス(電流)の流れをよくし、自然治癒能力をあげるというものと聞いています。Wikipediaによれば【カイロプラクティックの原理は、疾病の原因が脊椎などの椎骨(運動分節)の構造的、機能的な歪みにあるとの考えに基づいている。従って、その歪みを調整することで疾病を治療することが可能であるとされる】となります。つまり骨格や筋肉、神経についての知識があるべきで、そういう質問に答えられないカイロプラクター(術者)は信用ならないと思います。


ふと、ジョニー・デップ主演の変人映画監督の生涯を描いた『エド・ウッド』で、カイロプラクターが役者になっちゃうくだりがあったような…と思い出しました。テキトーに背中を押していたりして、ほいほい職替えするあたりもあやしげな感じでした。本国・アメリカでもそういう受け取りかたなんですかね。


現在の西洋医学からはこぼれてしまう人間にとって、代替医療は必要なものです。無駄に遠ざけたり、茶化しておとしめたりするのではなく、法制化が必要ならきちんと法制化して欲しいと思います。代替医療にむらがる「あやしい人間」は論外ですが、実は万能ではないのに万能な顔をしていたがる人々のために、世の中が進まないのもおかしいと思います。


そういえば、行基も「法制外のあやしげなヤツ」とされて弾圧を受けました。歴史は語っていますよね。

いつもと違って「性分だから触れておく」をしないので、察した方もおられましょうが、行基については明日、あらためて書きます。では、いってきまーす。


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