本日、1月20日。
「大寒」です。
二十四節気のひとつで「一年でもっとも寒い頃」ということですが、今冬はもうじゅうぶん寒いので、寒い話なんてウンザリって感じ(笑)。
他に何か…と調べたら「玉の輿の日」なんだそうで、そんなのあるの?って、びっくりしました。
1904(明治37)年のこの日、モルガン財閥の創始者ジョン・ピアモント・モルガンの甥ジョージが祇園の芸妓・雪香を破格の高値で身請けしました。
身請けとは、芸妓・娼妓は以前書いたとおり「前借り 」の借金があり、それを完済するまでは雇い主の「商品」でしたから、一晩の切り売りでなく、裕福な客が雇い主側にまとまった「代金」を払って、女性の身柄を買い取ってしまうことです。
もちろん、買われた女性は男性の意のまま。結婚するケースもありますが、妾(めかけ)のケースが多いかなと思います。ついでに言うと、こういう立場の男性を、買われた女性が「旦那 」と呼んだわけです。
ジョージ・モルガンは雪香と横浜で結婚します。モルガン家といえば、普通の辞書にも載っている、世界規模の大金持ちです。中心人物のジョン・モルガンは宝石のコレクターとしても知られ、ティファニーの著名な鑑定士が新しく発見された石にモルガンにちなんだ名をつけたほど。ちなみに「モルガナイト」です。
まあ、ともかく、本当に「玉の輿」ですね。
ただ、雪香さんには学生の恋人がいたそうで、これまた女性の意思はまったく問われない時代の悲劇です。
夫とともに米国に渡っても、日本の移民を排除する法律のため国籍が得られなかったり、早死にした夫の財産をめぐって一族と争ったり、しまいには日米の戦争の中へ巻き込まれ、日本に戻っていた彼女は特高(思想・言論を取り締まる特別警察)ににらまれたり、財産を没収されるなどの憂き目をみたそうです。もちろん、フランスで暮らした頃は恋人の学問のスポンサーになるなど、恵まれたぜいたくな日々もあったようですが、なかなか面倒な人生だったと思います。
まあ、フツーに想像して、ごく一般の家庭に育った女性がある日突然、面倒な宮廷儀礼てんこ盛りの王室に嫁いで楽しいかといえば、少々無理があるように思いますね。
とはいえ昔話の世界では、玉の輿に乗る前に、そのたしなみで周囲の尊敬を勝ちとった少女もいます。
昔、ある分限者(金持ち)の家にふたりの娘があった。姉は美人でかしこく、継母の連れ子の妹は醜く愚かだった。
ある日、お城の若殿さまが鷹狩りの帰りにこの家で休まれたが、継母は我が娘には着飾らせて若殿さまの接待をさせ、姉娘には汚い古着を着せて家来のお茶くみをさせた。
ところが数日後、お城から「若殿の奥方として姉娘を迎えに来た」と使いがくる。継母はこちらが姉娘だと嘘を言って我が娘を送り出そうとする。すると使いは娘に向かい、お盆に載せた皿に雪を盛り、雪に松の小枝を差して「これを見て和歌を作れ」と命じる。
妹娘は「盆の上に皿 皿の上に雪 雪の上に松」と汚い字で書いたので、使いの侍は怒ってもうひとりの娘を出すよう言い、姉娘にも同じお題を示すと、姉娘は「ぼんさらや やさらが岳に雪ふりて 雪を根として育つ松かな」とみごとな字で書いた。
そこで使いが姉娘を駕籠に乗せて立ち去ろうとすると、怒り狂った継母が駕籠めがけてほうきを投げつけた。すると姉娘は「いつまでも親という字のありがたさ 伯耆国(ほうきのくに=現在の鳥取県)まで皆もろた」と、また歌で返したそうな。
家来の接待まで目を配っていたのか、家来の言葉をよく聞きとる人なのか、どちらにせよ若殿はたいした人物。娘のよさをちゃんと認めてる家来たちもいいですね。昔話の少女は、しあわせになったことでしょう。
でも、現実には「ロココの女王」とまでいわれたポンパドゥール夫人 がいい例で、蔑む側はそうそう見方を変えてはくれませんからね。常に針のむしろでは、ぜいたくな環境もさほどうれしくはない気がします。
「玉の輿」は乗れない人こそがあこがれる、近づくと消えてしまう蜃気楼のようなものかもしれません。
(芸妓・雪香の生涯についてはすべてWikipediaによる)