本日、1月17日。
阪神淡路大震災から19年になります。
ニュースで、お正月に通ったばかりの高速道路がへし折れていたのを見て、ふるえあがったのを憶えています。


昔の人は「恐ろしいもの」を「地震、かみなり、火事、おやじ」とたとえました。これは一般に「怖い順に並んでいる」といわれています。


消防が機能しない火事はケタ違いです。「消防」とは明治期に作られた言葉ですが、それ以前の「火消し」の頃にはましてや、現在の消防に守られた状態で思うものとはまったく違います。その怖さを思うと、落雷に当たる確率の低さからしても、かみなりが上にいくのはおかしい気がします。


しかし、考えてみれば火事が大規模になるのは江戸のような人口密集地だけ。あいだに田畑をはさんだ田舎では延焼にも限りがあったでしょうし、むしろ農作業中、ひらけた農地で遭うかみなりのほうが恐ろしかったかもしれません。田畑の脇には、農具や弁当、衣服などを掛けておくため樹木が残されていることが多いので、落雷する率も、現代の街なかで思うのとは違うのかもしれません。


さて、問題は「おやじ」です。これには、文字通りの「親父」を指すという説と「大山風(おおやまじ)」=台風を指すという説があります。
ネットで問題になっているのを整理すると、気象予報士の森田さんの著書に「おやじ」は実は「おおやまじ」であると書かれていたことから、大山風説がひろがったとのこと。俗説とする記事も多いのですが、森田さんのブログに直接当たると、民俗学の文献には「親父」「台風」説の両方が採られているそうです。また、四国の漁師さんから「台風がくるとオヤジだと叫んで警戒を呼びかけた」という情報があったといいます。


ただし、現時点の個人的感想ですが、これだけだと四国の方言が全国的なことわざに育つ経緯や理由がはっきりしていないと思います。

いずれ実際の文献を当たって、他地域にひろまったという根拠を調べてみたいと思いますが、ともあれ、国会図書館のレファレンス・データベースでもほとんど該当文書が出ておらず、今はなんともいえません。


ではありますが。
これは勝手な妄想ですが、上記のような火事と落雷の比較などを思うと、どうもこの並びかたは「都会、田舎、都会、田舎」の怖いものって感じがしてます。

そうすると「おやじ」は田舎の怖いもの。漁船を覆し、田畑を荒らす「台風」でもいいような気がします。さらに、森田さんのブログによれば「親父」は「父親」の意ではなく「地頭」であるという説もあるのだとか。

地頭とはざっくり言って「領主・地主もしくはその代行で農地を管理する人」。年貢を取る人というわけで、農民の命綱を握り「泣く子と地頭には勝てない」ということわざもありました。これも田舎の怖いものです。


もしかしたら、農民の怖いものを両方かけてあったとか。でも、漁師の言葉が農民の感情を示すのも変な気が…。


ぐるぐる回ってしまいました(笑)。
でもね、テストやクイズじゃあるまいし、サクサク結論づけるだけが能じゃないでしょ。本当のところなんて簡単にわかるものではありません。

ああかな、こうかな、というアドベンチャーを楽しむのが「学び」のオイシイとこだと思うんですがねぇ。


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