本日、12月22日。
二十四節気のひとつ、「冬至」です。
あれ、昨日じゃないの?という方もおいでかと思います。ネットを見渡すと、誤って昨日を冬至としている記事がけっこうありました。冬至は日付が決まっているわけではないので、こういうことも起きるんですね。
冬至とは北半球で太陽の位置がもっとも低い日です。ざっくり言うと、地球は少し傾いてるので、太陽のまわりを回るうちには、角度が悪くて北半球に太陽が当たりづらい時期があるわけです。そのなかでも一番太陽が当たりづらい、つまり「一年のうちで昼がもっとも短く、夜がもっとも長い日」が冬至なのです。
年によって日付が変わるのは、天体現象が基になっているからです。
暦は「もともと割り切れない天体の動きを、ある程度ならして区切って、誰にでも刻みがわかるよう作った」みたいなものなので、実際の天体現象と突き合わせると誤差が出ます。
閏年などを思い出すと納得!ですよね。
冬至は「もっとも昼が短い」=「日の出がもっとも遅く、日の入りがもっとも早い」と思う人もいるようですが、実は日の出・日の入りの時間と冬至は直接つながりません。
日の出の時刻が遅くなっていくのと、日の入りが早くなるリズム(笑)が合わないためで、ふたつのちょっとズレた波の高さの差が一番小さいところは、それぞれの最高・最低ではなく中途にあるのと同じです。
さて、冬至にはいろいろの習わしがあります。しかし、Wikipediaによれば「ゆず湯=江戸期の銭湯から」「かぼちゃなど運のつくものを食べる=明治以降」と、案外歴史が浅い印象です。
なかで面白いのは小豆がゆ。これは他の行事のときにも登場する、縁起担ぎメニューの鉄板(笑)って感じのものですが、邪気祓い・疫病よけの効能があるとされています。わたしが思うに、これはもっとも怖い疫病・天然痘が地域によって「豆痘(まめがさ)」とも呼ばれるように、豆粒状のブツブツができるものだったため、似た形状の豆を食べることで克服できるという、呪術的感覚によるものではないかと。言ってしまえば、オカルト版の種痘、予防接種みたいなものだったりして…などと想像しています。
上記の「運のつくものを食べる」というのは「ん」のつくものを食べて「運」をつけようというもの、ほとんどおやじギャグです(笑)。
日本の言霊信仰というのは「むやみに言葉にしない」というデリケートなところから発するのですが、言い回しや語感からの連想を気にするうち、駄洒落レベルに至ってしまったと思います。
実に残念です(笑)。
地域によっては「え? かぼちゃのどこにンがつくの?」との疑問を感じることと思います。
主に関西で、かぼちゃは「ナンキン」と呼ばれるため「ん」が二度も入る縁起物の仲間なのです。
他に「れんこん」とか「きんかん」とか「ぎんなん」、「うどん」「だいこん」などもOK。
しかしこうなると、ふたつ「ん」があるほうが御利益ありそうな感じしますね(笑)。
呼び名が地域限定な割に、一番ポピュラーな行事食材になっているかぼちゃ。
日本には東南アジアを経由して入ってきたもので、その名は「カンボジア」が訛ったものだといわれます。ただし、Wikipediaによれば、これは俗説なのだとか。
とはいえ、対抗できる言葉が述べられてはいなかったので、わたしとしては判断しかねます(ざらっと検索した限りでは、俗説とする根拠のほうが見つかりませんでした)。
閑話休題。
かぼちゃが不利な状況にも関わらず一番有名になったのは、もともとかぼちゃに対して、皆が恐れを抱いていたからではないかと思います。
ごつごつした外見、固い皮、そしてなにより、果実の中に空洞。
閉じたものの中にある空洞は、呪術的な考えではとても重要です。繭(まゆ)やたまごなど「魂の容れ物」と見られ、果実から生まれる「桃太郎」や「瓜子姫」はこの系譜のうえにあります。
逆にいえば何がひそんでいるかわからないという恐怖感も感じさせたようで、武骨で不気味な外見のかぼちゃは、こぼれ種からでも育つ強すぎる生命力も含め、恐れられるほうが多かったようです。
昔話に、誤って猫を殺して埋めておいた人がいて、気がついたら庭にかぼちゃがなっていたので取って食べようとした。ところが、ちょうど泊まっていた旅人がなんとなく不穏な気配を感じ、これは蒔いた種からなったものかと聞くと、自然となったと言う。そこで試してみると果たして毒かぼちゃだった。ツルをたどってみたら死んだ猫の目からのびていた、呪いのかぼちゃだった。蒔かずになったものは食べるものではない。というものがあります。
見えないもの、はかれないものに対する古人のファンタジーは驚くべきものですね。
現代では、かぼちゃはカロテンほかビタミンたっぷり、冬にはありがたい健康野菜。蒔かずに生えるほどの生命力も、美味しくいただいて身につけ、ついでに「運」もつく(笑)という、いうことナシの食材です。
古代には「年の初め」とする国も多かった冬至。
今日はほっこり炊いたかぼちゃを食べて、季節の移ろいを愛でましょうか…
それより、書いてるうちにお腹すいたー!ってのが、わたしの本音ではございますが(笑)。