本日、12月20日。
果ての二十日(はつか)」という斎日(いみび)です。

 

斎日とは身を慎み災いを避けるべき日。そのため、いろいろな行動が習わしとして残っています。


たとえば、日の干支が庚申(かのえ さる)の夜は、体の中にひそんでその人間の行動を記録している虫が、寝てる間に天の神様のところへ報告に行くといわれ、うしろめたいことのない人間はいないため(笑)、寄り集まって夜通し起きているという「庚申待(こうしんまち)」の習わしがありました。

 

 

 

ところが「果ての二十日」については、何をどうするのかについて全国統一の規格がありませんで。


むしろ「かなり限られた場所で山に入るのをひかえる日」と思ってればいいんじゃないのかな…と思いますが、そもそも、いわれは何なのかという時点で、


1)京都で罪人の処刑がおこなわれる日だったため
2)山の神に遠慮すべき日と考えられていたため 

 

…と、ふたつにわかれてしまいます。

 

 

 

京都の不思議スポットのひとつ、一条戻橋(いちじょうもどりばし)。
死んだ人の魂が還ってきたとか、陰陽師・安倍晴明が「式神(しきがみ)」という召使いのような鬼神を住まわせたとか、いろいろ伝説のある橋です。

 

この橋で「果ての二十日」に処刑される前の罪人が供え物をして、生まれ変わってこの世に戻る時にはまっとうな人間になるよう言い聞かされる慣習があったとか。

 

 

でも、これだけだと罪人に課せられた慣習であって、ちょっと「由来」とするには弱い気がします。

 

たとえばこれを見ないよう都人が外に出なかった、それが周辺地にもひろまっていった、とかいう伝説がセットなら、なるほど斎日かなと思いますけど、昔は日本もご多分に漏れず、処刑見物 はみんなの楽しみだったみたいですし(笑)。

 


 

実は「果ての二十日」が先にあって、斎日だから処刑日に定まったのでは?なんて、勝手な想像をしています。

 

 

というのも「果ての二十日」に山に入ってはならないとする伝説の有名な例は、だいたい和歌山~奈良あたりなんですね。霊的地域として名高く、都ともいろいろ行き来があったあたりですから、都の人の耳にだって、ワケアリ日として聞こえてたんじゃないかなぁと考えたりしたわけです。

 

 

 

 

全国的にいうと山の神さまの斎日はまちまちで、毎月十二日、毎月十七日、八のつく日、などなど。

 

 

「果ての二十日」同様、この日には山に入ってはならないとされていて、コワイお話では「山の神さまが木を数える日で、目印に、区切りごとに木をひねるので、山に入ると一緒にひねられて死ぬ」なんてものがあります。こんな死にかたはイヤすぎです(笑)。


また、神さま話が変化して、妖怪の類がお坊さんや凄腕の猟師に倒され、反省して命乞いする。そのとき「この日一日だけは自由にさせて」という条件がついていたため、その日には人を取って食うなどの悪行が再現されるので入るな、というパターンの伝説も多いです。

 

 

 

山の神さまは、大雑把にいって二系統かなと思います。


ひとつは有名な山姥(やまんば)。

若い美人の場合もありますが、一般には文字通りおばあちゃんだったり、とにかく醜女であるとされています。そのため、自分より醜い、魚の「おこぜ」を見ると喜ぶといわれ、猟師がお供えやお守りに使ったそうです。ある意味、かわいいかも(笑)。


もうひとつは山爺(やまんじい、またはやまちち)。

一つ目・一本足とされることが多く、昔話では、猟師を取って食おうとして失敗するか、別の山爺と山をめぐるナワバリ争いをして、腕の立つ猟師に助太刀を頼みに来るパターンが多いです。

 

 

 

一つ目・一本足は鍛冶師たちの神さまに由来するのではないかといわれています。

 

 

『もののけ姫』のタタラ場のように、鍛冶師たちは原料の鉱石が取れ、燃料になる木があり、豊富な清水がある山間に住んだため、以前「漆の日 」で書いた木地師などと同様、里人からは不思議の存在とされたフシがあります。

 

神秘的な彼らの信仰が断片的に里につたわって、山の神&山の妖怪ファンタジーの大きな材料となっていったのだろうと思われます。

 

 

 

四国には手杵(てぎね=真ん中のくびれたところを持って使う杵)みたいな形の山妖がいたといわれ、以前にも書いた伝説の女マタギ・おかねさん が見たのはこれだったようです。

 

坂道をころころ転がって遊んでいたそうで、なかなか愛らしいですね。
 

 

おかねさんは他に、山爺にも遭遇しています。

 

イノシシが泥浴びにくる「ヌタ場」という湿地で、おかねさんが待ち伏せしていると虫が出てきて、それを食おうとカエルが狙い、そのカエルを食おうとヘビが狙い、そのヘビを食おうとイノシシが狙った。

 

さて、そのイノシシを撃とうと鉄砲をかまえたおかねさん、ふと「どれもこれも獲物を狙うばかりで、おのれが狙われていることに気づいていない。ひょっとしたら自分も」とふり返ると、そこには炭火のような一つ目を輝かす山爺がいた。

 

気づかれた山爺は「いい思案だ、猟師」と言い残して去っていったのだそうな。

 

 

 

おかねさんのような女性もいましたが、一般には、山も神聖な異界で女人禁制でした。日本の神事はもともと女性が司っていたのに、おかしな話です。

 

でもね、そんな迷信を気にして女性につれなくすると、こんな目に遭うぞーって話もありますからねぇ。
 

では、最後にその昔話をご紹介しましょう。

 

 

昔、六人の猟師と七人の猟師がそれぞれ組んで山へ入った。片方を小玉組といった。

 

 

小玉組が猟の拠点にする小屋を整えていると、身重の女がやってきて「今にも生まれそうだから助けてくれ」と言った。しかし小玉組の連中は「猟の時に女に会っただけで縁起が悪いのに、お産のケガレなんてとんでもない」と、雪が降る外へ追いだした。

 

女はなんとか別の組の小屋へたどり着き、助けを求めた。こちらは「困った時はお互いさまだ」と女を小屋へ寝かせ、なにくれとなく産気づいた女の世話をした。

 

女は子を生むと「わたしは実はこの山の神である。お前たちは親切でこころがけがいいので、これからいつでも獲物がたくさん獲れるよう、わたしが気をつけてあげよう」と言い、怖い顔になって「それにしても憎いのは小玉組。凍える日には、わたしの怒りを思い知るがいい」と言った。

 

小玉組の猟師は神の怒りで小さな茶色いネズミに変えられた。そしてこのコダマネズミは、凍えるほど寒い日にポーンと音を立ててはじけ、破裂して死んでしまうのだそうな。

 

 

 

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