本日、11月20日。
ピザの日」です。

なぜか凸版印刷が制定しているのですが、いろいろ調べてもその理由は不明。
しかし、さいわいにも(笑)、この日が選ばれた理由のほうははっきりしています。あるイタリア王妃の誕生日だからです。

中世、都市国家群が発展していたイタリア。
貿易で巨万の富を得たヴェネツィアや、ルネサンスの中心地となったフィレンツェなど、コンパクトながら強国と見られていたのでしょう。以前書いたカトリーヌ・ド・メディシスのように、都市国家の支配層から他国の王家に嫁ぐ人もいました。
<カトリーヌ・ド・メディシスの過去記事はこちらへどうぞ>

ちなみに「都市国家」とは【王宮・公共施設などを中心に城壁をめぐらした都市が、その周辺の農牧地を含めて政治的に独立し、小国家を構成したもの】。イタリア半島は古代ローマの時代からそうした小さな国家が並び立ち、現在思うような「イタリア」という概念もほぼありませんでした。

しかし、やがて都市国家群はおとろえ、それぞれ他国の支配を受けるようになりました。その後18世紀にはナポレオンに征服されたり、彼の没落後はふたたび他国の都合で分割されるなど、イタリア半島の苦難は長く続きます。

19世紀に至り、そのイタリアを統一したのが、古くからトリノ一帯を領有していたサヴォイア公家でした。サヴォイア王朝初代のイタリア王となったのはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世。その息子ウンベルト1世の妃が、11月20日生まれの「マルゲリータ」、マルゲリータ・マリア・テレーザ・ジョヴァンナ

そうです、シンプルで美味しいピッツァ・マルゲリータは彼女に由来するのです。

1889年、王妃マルゲリータはナポリを訪れた際にピザを所望します。
ジェノヴァ公の息女と高い身分に生まれたマルゲリータですが、父が早く亡くなったこともあり、金銭的にはかなり苦しい生活の中で育ったとか。

ピザはもともと、ナポリの貧しい人々がトマトとチーズを平らなパンに載せて食べたものでした。当時、ナポリの人気料理だったとはいえ、主に屋台で売られるような庶民的な食べ物に関心があったのは、彼女の生い立ちの影響もあったのかもしれません。

王妃の希望に応え、有名なピザ職人がちょっと工夫したピザを献上します。
それは「トマトの赤」「モッツァレラの白」「バジルの緑」でイタリア国旗の色を表したもの。やっと「祖国」を得たイタリア人のよろこびが伝わってくるようです。

王妃ももちろん感激したのでしょう、このピザがたいそう気に入ったことから、「マルゲリータのピザ」=「ピッツァ・マルゲリータ」と呼ばれるようになったのです。そしてこれを機会に、ピザはナポリの郷土料理から世界へと発展していきました。

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イタリアといえば、わたしは細長くサクサクしたクラッカーみたいなパン、グリッシーニが大好物。サヴォイア公家は食べ物との縁が深いのか、実はこのグリッシーニも、サヴォイア公家に由来するものです。

17世紀末、サヴォイアの公子=ヴィットーリオ・アメーデオ2世は病気がちでした。ヴィットーリオがひとりっ子であり、わずか9歳で公位を継いでいるところからみて、彼の父も丈夫ではなかったのかもしれません。

ヴィットーリオの母、公妃マリアは心を痛め、主治医と相談を重ねて食生活の改善を目指しました。公妃の依頼を受けたパン職人は、胃腸に負担をかけない消化のよいパンを考案します。これが、グリッシーニの始まりだといわれています。

無事に育ったヴィットーリオ・アメーデオ2世は、たくましくも「サヴォイアの狼」と呼ばれ、初めシチリア王位を、それと交換にサルディーニャ王位を得るなど、サヴォイア家の発展の基礎となりました。彼が整備したトリノの街並みは世界遺産となっています。

食べることは命。
どんなに有能でも、食べて生きのびねば何もできません。
植物や動物の命をもらっていることもあわせ、おいしく、命のためになる食事をしたいなぁと思います。