本日、11月12日。
皮膚の日」です。

いい(11)ひ(1)ふ(2)の語呂合わせから、1989年、日本臨床皮膚科医会によって制定されました。

ということで、今日は16世紀の東欧に生きた女性、バートリ・エルゼベートによる悪魔のスキンケアをご紹介しましょう。

日本では、ドイツ読みの「エリザベート・バートリ」の名前のほうが知られていますが、彼女はハンガリー人なので日本と同じく、姓が上にきます。吸血鬼伝説で有名なトランシルヴァニア公国の出身で、身内はすべて東欧各国の王侯という、たいへんな名門のお姫様でした。

うつくしい女性だったようで(肖像画を見る限り、わたしは怖いって印象しか持てないんですが)、鏡に映した自分の姿に何時間でも見入っていた、という逸話が残っています。

当時の習慣に従って幼いうちに婚約者が定められ、11歳から未来の姑となる女性のもとに預けられてしつけられます。彼女はとても厳格な人物でエルゼベートとは合わず、やっと15歳にして結婚しても、軍人の夫は相次ぐ戦争で留守がち。不満が積み重なって、均衡を失った心がひたすら自分の美貌にだけ向かっていったのかもしれません。

夫もかなり残忍な人柄であったらしいのですが、その生前からすでに「奥方も召し使いを虐待している」といううわさがあったようです。さらに、44歳の時に夫が亡くなると、エルゼベートの残虐性がはっきり表に出てきます。

チェイテ城という、荒涼とした土地に建つ城で、エルゼベートは下男を使い次々に女中を集めさせました。城へあがった娘は二度と帰らず、近隣には不吉なうわさが立ちます。けれども貧しい親たちは、娘を城へ引き渡し続けたのです。

城の中では、のちに「血の伯爵夫人」と呼ばれるエルゼベートが娘たちを残忍な方法で殺し、しぼり取った血にひたって、美肌ケアに努めていました。エルゼベートは、若い娘の血がなめらかで美しい肌と若返りに効くと考えていたらしいです。

なにしろ、東欧きっての名門の女性。
宮廷のある都ウィーンが好きだったエルゼベートはよく出かけたそうですが、その定宿では「血がこびりついて炭のようになった娘たち」が目撃されたりしていたにも関わらず、誰もが見ぬふりをします。

地元の教会の女性歌手がエルゼベートとウィーンに出かけ、手足を切断された無残な遺体となって帰ったため、さすがにあやしんだ牧師が埋葬の立ち会いを拒否したことくらいはあったといいますが、こんな明らかな犯行の跡があっても、表だって彼女を追求する者はいませんでした。

やがて被害が貴族の令嬢に及ぶに至って、ようやく王家が動き、さしものエルゼベートも逮捕されました。
被害者の数は、一説には600人以上ともいわれます。

下男など共犯者は死刑になりましたが、高貴なエルゼベートへの処罰は生涯幽閉にとどまります。
チェイテ城の自室に閉じ込められ、日1回の食事を差し入れる小さな窓以外すべて塗りふさがれた真闇のなかで、エルゼベートは3年ほどを生きました。

なにものを利用してもかまわないほど愛しぬいた自分自身を、眺めることさえできなくなった、なんとも皮肉な末路でした。