本日、11月6日。
「お見合い記念日」です。

1947(昭和22)年、結婚雑誌主催の大規模な集団お見合いがおこなわれたことを記念する日。終戦から2年、戦争で婚期を逸した人が参加したそうです。

この頃の婚活もなかなか大変そうですが、これは深刻ですね。会場が多摩川河川敷だったというのも、ひょっとしてまだ会場にふさわしい大きな建物などもなかったのでは…などと想像したりします。

結婚かぁ……と思ってたら、今日は奇しくもふたりの女性の誕生日でもありました。

ひとりは古代ローマ帝国の皇帝の妻であり、暴君として名高いネロの母小アグリッピナ。もうひとりは中世スペインの王女で、カスティーリャ女王となり「狂女王」と呼ばれるファナ。結婚について、ある意味、両極端なふたりです。

小アグリッピナは、ローマ初代皇帝アウグストゥスの曾孫(ひまご)に当たる女性。母親も同じくアグリッピナという名前なので、娘の彼女は「小」をつけて呼ばれます。

ローマでも有数のお姫さまではありますが、帝位に近い=高貴なはずの家柄の人たちは血で血を洗う権力闘争に明け暮れ、おまけに放蕩三昧のありさまでした。アグリッピナの兄で皇帝になったカリグラも、男女かまわずの乱脈な性生活と理不尽なふるまいのあげく、暗殺されて人生を終えます。

アグリッピナとて負けてはいません。兄との近親相姦のうわさもあり、二度の結婚のあと、タブーだった叔父との結婚を強引に実現。デキのよくない叔父と無理にも一緒になったのは、彼が皇帝になったからで、彼女は皇帝の母后になりたかったのだといわれています。

皇后となったアグリッピナはさっさと夫を毒殺、連れ子のネロを皇帝に押し上げました。しかし、何かと指図をしたがる母と息子の仲はこじれ、アグリッピナは解決策として息子との近親相姦に及んだ、とのうわさもあります。ネロはますます母を疎み、ついにネロが差し向けた兵士によってアグリッピナは殺害されました。

ところ変わって中世イベリア半島。当時たいへんめずらしい恋愛結婚によって、現在のスペインの大半にあたるカスティーリャ王国とアラゴン王国を共同統治するようになった王と女王のあいだに、王女ファナが生まれました。

スペイン人には非常に厳格なカトリック教徒の側面があります。特にファナの母親イサベラは、その結婚の自由な印象に似合わず、とても厳しい女性だったようで、ファナは真面目な乙女に育ちました。

そしてファナはフランスの貴公子と結婚することになります。
幸か不幸か、お相手フィリップは「美貌公」とあだ名されるほどのイケメン。純情なファナはすっかり夢中になってしまいます。

しかし。彼は顔だけの大ハズレでした。
浮気者の夫をファナは愛し続けますが、追えば逃げるというやつで、真面目なファナの精神はボロボロになっていきます。

しかも後年、母の後を継いでカスティーリャ女王となった時には、女王の夫として「王」の資格を得た彼がワガママ放題、地元の貴族との対立を引き起こします。公人としても、ファナは夫に苦労させられたわけです。

それでもこの問題児が急死を遂げた時には、ファナは衝撃のあまり完全に正気を失い、彼のなきがらと共に国じゅうをさまよったと言い伝えられているそうです。

夫を(文字通り)地獄へ突き落とした小アグリッピナ、夫に地獄へ引き込まれたファナ。

正反対な感じのふたりですが、たとえばアグリッピナは、皇后になるために見せた行動力・政治力のほかに、息子の教育係に大哲学者セネカを選ぶような、教養も見る目もある人物でした。
ファナも公私の別がきちんとついていて、夫を厳しくいさめて弱者をかばったり、「王」に怒るカスティーリャの貴族たちをも上手く治めていたようです。

もしも、女性がひとりで統治できるはずないという見方がなかったら。

アグリッピナは罪悪に及ばずとも済み、ファナも公的な苦労だけは免れたはず。男性だって、いきなり殺されたり、望みもしない面倒な地位を押しつけられるより、勝手にやってもらったほうがいいんじゃないかと思うんですが。

夫の地位によって成り上がるも、自分の地位によって夫が成り上がるも、あと、ファナの両親のように対等な地位にあっても、実はそれを維持するのにいろいろ悶着がありました。愛情だけを問えばいい、われら現代庶民の結婚はしあわせなものです。

いくらかざっくりとそう思ってみたら、未婚も既婚も、誰もが、ちょっとは気が楽になったりしないかな。
…そんなことを思いつつ、夫の部屋着をたたむ妻なのでした。